江戸時代、なぜ犯罪者はヒーロー化したのか?武士の堕落が生んだ鼠小僧ら「義賊」の真実
封建社会のひずみ
現代社会では、強盗や殺人、盗みを繰り返した犯罪者がヒーロー視されることはまずありません。しかし江戸時代はそういうことが少なくありませんでした。
こうした特異なヒーローは「義賊」と呼ばれます。今回はこの「義賊」が生まれた背景について解説します。
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実はただの盗人です!江戸時代の盗賊「鼠小僧」はなぜヒーローとして伝説化されたのか?江戸時代に入って戦乱の時代が終わりを迎えると、武士たちが刀や槍を振るう「戦」がなくなっていきました。そして政治が安定して法が社会の隅々まで行き届くようになります。
そんな空気の中で、時代が進むにつれて武士の「武士らしさ」が失われていき、官僚化が進んでいきます。
戦国時代には下剋上という成り上がりの風潮がありましたが、江戸幕府はそれを封じ込め、武士を頂点とする封建体制を再整備します。
そうして敷かれた体制は、家老の子はボンクラでも家老ですが貧民の子はどんなに頑張っても貧民のままという身分社会で、また多くの人たちはそれを当然のこととして考えていました。
失われた清廉さしかし、江戸時代後期になると支配層である武士たちの堕落が顕著になり、この身分社会に疑問が持たれるようになります。
武士といえば「武士は食わねど高楊枝」「武士に二言はない」などの言葉が表すように清廉潔白なイメージがありますね。しかし、そうでない者も少なからず存在していました。
例えば、当主が亡くなったのに「病気療養中」とウソをつき、亡くなった当主の給料をもらい続ける者がいました。しかも1人だけでなく、多くの昔がそれを当たり前のように行っていたといいます。
現代でも、少し前に似たような手口で親の年金をもらい続けたケースが次々に発覚したことがありましたが、同じようなことは江戸時代から行われていたのです。
有名な大塩平八郎は大坂奉行所の与力で、そんな役人の汚職や奉行所の不正を幕府に訴えましたが相手にされず、最後は自ら武装蜂起して討たれたということになっています。
大塩の乱は、平八郎一人の独り相撲の暴走だったという見方が現在では一般的ですが、幕府の役人がこのような反乱を起こしたことは、世間に大きな衝撃を与えました。それくらい、武士の堕落ぶりは目に余るものとなっていたのです。
エンタメとしてまた、江戸時代後期の武家は深刻な財政難に見舞われ、富裕な農民や町人から御用金を徴収し、その見返りとして苗字帯刀を許していました。
これは要するに農民や町人の「武士化」なのですが、自分たちで築いた厳格な身分社会を自分たちで崩す姿は、庶民からの武家不信を招きました。
そのため、農民や町人も武芸の腕を磨くなどするようになり、庶民による武士へのアンチテーゼが湧き上がるようになります。
こうした中で生まれたのが義賊です。国家や権力者からは犯罪者とみなされたものの、反対に大衆から見れば、彼らは歪んだ国家権力に反発するヒーローとなりうる存在でした。
そんな義賊たちに、庶民は自分たちの国家への反発心や憤り・やるせなさを投影したのです。
先に書いた通り、現代社会では実在した犯罪者がヒーロー視されることはまずありません。
しかしエンタメの世界では、反社会的な存在が、かえって庶民の味方として描かれることは珍しくありませんね。その点だけは、江戸時代も現代も同じだと言えるでしょう。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia
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