【江戸時代の捕縛道具】江戸では犯罪者をどう捕らえたのか?命懸けだった捕物出役の全貌

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【江戸時代の捕縛道具】江戸では犯罪者をどう捕らえたのか?命懸けだった捕物出役の全貌

命がけの捕物出役

時代劇で描かれる勇壮な捕物シーンは、物語の大きな見せ場のひとつです。

命がけの任務である捕物出役や、犯人の生け捕りに特化した独特の道具は、当時の治安維持の知恵と工夫を現代の私たちに垣間見せてくれます。

今回は、町奉行所がどのように犯人を捕まえたのか、捕物出役の実際と道具の工夫をみていきましょう。

『鬼平犯科帳』では、馬に乗った長谷川平蔵や与力・同心・捕方などが盗人宿を強襲し、捕縛する様子が描かれています。では実際の捕物はどのようなものだったのでしょうか。

長谷川平蔵供養の碑(Wikipediaより)

まず小さな刑事事件の場合は、同心が容疑者に出頭を命じるか、小者に捕縛させて自身番屋で取り調べました。

軽犯罪の場合は、同心がその場で①放免、②入牢、③町預かり(町役人に預けること)を判断します。

犯罪者の激しい抵抗が予想される場合は、『鬼平犯科帳』で描かれているように部隊を整えて出動することになります。

この出動部隊が捕物出役と呼ばれ、犯罪者1人に対して与力1騎、同心3~4人が目安となっていました。このほか、同心1人につき数人の小者がつきます。

与力は普段は裃ですが、出役の際は着流しとなり、丈夫な火事羽織と動きやすい野袴を着けて陣笠をかぶることもありました。

与力は検視(見届け人)の役割で、現場の指揮を執りますが、捕物に加わることはあまりありません。

出役の準備ができると、町奉行は与力・同心に言葉をかけて盃を交わし、正門を開かせて出発。表玄関で見送ります。

このとき町奉行からかけられる言葉は「万一命を隕すことある時はあるいは親戚へ無相違家相続せしむる間、無二念働き申べし。出役の祝儀として一盃を進す」(『江戸町奉行事蹟問答』)だったといいます。やはり犯罪者の捕り物は命懸けだったのです。

生け捕りに特化した捕物道具

前線に立つことになる同心は、鉢金・鎖帷子・籠手などを着けて股引きを引き上げて履きました。そして刃引きした長脇差を差し、手には十手を持ちました。

時代劇に馴染んだ人には言うまでもありませんが、十手には相手を打ち据える・刀を避ける・押さえ付ける・取り上げるなどの機能が備わっていました。

その鉤の部分は太刀もぎの鉤とも呼ばれ、棒心で相手の刀を受けつつ刃に鉤を滑り込ませ、ひねって刀を取り上げます。

捜査の時は相手に十手を見せることで身分の証にもなり、現代の警察手帳のような役割も果たしていました。

こうした基本装備のほかに、さまざまな捕縛道具があります。特に三つ道具と呼ばれ、多くの同心らが用いたのが、突棒・袖搦・刺又です。

突棒は、柄の端に鉄製金具を取り付けたもので、金具には小さな刃や針が多く埋め込まれていました。

袖搦は、先端が数条に枝分かれした鉄製の針を柄の端に取り付けたもの。そして刺股は、U字形の鉄製金具を柄の先端に取り付けたものです。

特に刺又は、現在も不審者の捕縛などで使われることがあるので見たことがある人も多いでしょう。

刺股

町奉行所の捕物出役では生け捕りが基本であるため、いずれも犯人の身体に押し付けて、自由を奪って捕らえることを目的としていました。

治安維持の連係プレー

犯人が立て籠っている現場に着くと、南北両町奉行所の与力は手筈を合わせ、月番は表の方、非番は裏の方を受け持ち、与力の命令で同心が踏み込みます。

相手が凶悪犯の場合は、4本の梯子を「井」の字に組んで犯人を囲み、四方から捕縛道具で攻め立てました。

ちなみに八丁堀には大きな道場があり、与力と同心のほか小者も剣術や柔術、十手術などを修練したといいます。

町奉行所の捕物は、このように与力と同心の連携、専門的な道具、そして厳格な訓練に支えられており、それをもって江戸の治安を守っていたのです。

生け捕りを重視した捕縛技術は、命を尊重しつつ秩序を維持する江戸社会の価値観を反映していると言えるでしょう。

このシステムは明治以降の近代警察制度の基盤となり、現代にも少なからぬ影響を与えています。

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia
トップ画像:徳川幕府刑事図譜より

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