「切腹せよ」酒に酔った失言で家臣を死なせた名将・福島正則の悲劇と不器用な終幕【後編】

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「切腹せよ」酒に酔った失言で家臣を死なせた名将・福島正則の悲劇と不器用な終幕【後編】

福島正則(ふくしま まさのり)は、戦国時代から江戸時代の初めにかけて活躍した武将です。豊臣秀吉のいとこという縁もあり、若いころから多くの戦で手柄を立てた勇敢な人物として知られています。

しかし、そんな彼にはひとつ、大きな弱点がありました。それはお酒です。

※前編の記事はこちら↓

酒癖の悪さがすべてを狂わせた!名将・福島正則が家宝の名槍「日本号」を失った夜【前編】

家臣を死なせた、酒の上でのひとこと

ある日のことでした。正則は広島へ戻るため、家臣たちを連れて船に乗っていました。その道中、彼はいつものように酒をたしなんでいました。海風を受けながら杯を傾けるうちに、次第に気が大きくなっていきます。

そして、酔いがまわったころ、家臣のひとりである柘植清右衛門(つげ せいえもん)に、ふとしたことから腹を立ててしまいます。清右衛門は、日頃からよく仕える忠義者で、正則も信頼していた家臣の一人でした。それでも、酒の席で感情を抑えきれなかったのでしょう。正則は、勢いにまかせてこう言い放ってしまいました。

「切腹せよ」

それは、もしかしたら酔った勢いの冗談だったのかもしれません。あるいは、一時の怒りをぶつけたただの言葉だったのかもしれません。

しかし、清右衛門は違いました。主君の言葉は、たとえ酒の席のひとことでも命令と受け止める。それが武士の覚悟であり、忠義というものでした。彼は黙ってその言葉を受け入れ、その夜のうちに命を絶ってしまったのです。

翌朝、酔いがさめた正則は、清右衛門の最期を知って、声をあげて泣き崩れたと伝えられています。あれほど信頼していた家臣を、自分のひとことで死なせてしまった。彼の胸の内は、どれほど苦しかったことでしょう。

こうして、正則はその生涯で、ふたつのかけがえのないものを酒によって失いました。ひとつは、家の誇りであった名槍「日本号」。そしてもうひとつは、忠義に厚い家臣の命です。

そんな正則も、とうとうおこられて、領地を取り上げられてしまうという、大きな失敗をしてしまいます。

大名としての失脚 幕府の不信を買う

時は1619年。徳川家康が亡くなって、まもないころのことです。正則が住んでいた広島のあたりを、大きな台風が通りぬけ、広島城が大きなダメージを受けました。本丸(二の丸や三の丸という、城の中心部)や石垣が、あちこち崩れてしまったのです。

それを見た正則は、「このままではまずい」と思い、城の修理を始めました。じつは、工事を始める前に幕府に知らせてはいたのですが、きちんとした許可が出る前に動いてしまったため、「勝手に修理をした」として問題になってしまいました。

しかも、正則は前にも「城造りのルール」をやぶっていたことがあったのです。全国の大名に対して「一国につき城はひとつまで」と決められていたのに、新しく城をつくったことを、毛利家という別の大名が幕府に伝えていました。

そのため、今回の修理も「またやったのか」と見られてしまい、幕府は厳しい態度をとることになります。

正則は、「屋根が雨でぬれていたから、しかたなく直しただけです」と説明します。実際に江戸へ行って、謝ることもしました。そして、幕府からは「本丸以外のところもちゃんと壊すように」と命じられました。

ところが、正則は本丸だけを取りこわして、二の丸や三の丸には手をつけませんでした。それが、また問題になります。「約束をちゃんと守っていないじゃないか」と言われたのです。

さらに悪いことが重なります。人質として江戸に行くことになっていた息子・忠勝(ただかつ)の出発が遅れたのです。しかも正則は、「あれこれ聞かれても、親が決めることだ」とはっきり答えませんでした。これで幕府の怒りは、さらに大きくなります。

とうとう将軍の徳川秀忠が怒り、正則の家へ二人の使者を送ってきました。使者が伝えたのは、とても重い処分です。

「今の領地、安芸と備後の50万石はすべて取り上げる。かわりに、信濃(今の長野県)と越後(今の新潟県)にある、あわせて4万5,000石だけを治めるように」

このようにして、正則は大きな領地を失い、小さな土地にうつることになったのです。いままでの努力や名誉が、一気に消えてしまったようなものでした。

晩年の正則

その後、正則は息子の忠勝に家をゆずって、身を引きます。そして、出家して「高斎(こうさい)」という名前を名のりました。ようやく、静かな暮らしを送る…と思われましたが、そううまくはいきませんでした。

次の年、1620年。まだ若かった忠勝が、病気で亡くなってしまいます。正則は深く悲しみ、自分の領地のうち2万5,000石を幕府に返上しました。

武功にあふれ、名将として称えられながらも、ひとりの人間としての弱さを抱え、失敗と後悔を繰り返しながらも生きた姿。その不完全さこそが、福島正則という人物を、ただの「偉人」ではなく、「語り継がれる人間」にしているのかもしれません。

参考文献:南條範夫 著『大名廃絶録』(1964 人物往来社)

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