「長岡京」の”大長岡京説”は幻に?京都市で交差点跡を再調査、道路の証拠は見つからず
2024年、京都市南区にある長岡京跡のすぐ北側で、十字路のような形をした遺跡が見つかりました。「長岡京」とは、奈良時代の終わりごろに桓武天皇がつくった都(784~794年)のことです。
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蝦夷征伐に仏教勢力の排除…ミスター遷都・桓武天皇の生涯と業績を紹介この長岡京のすぐ外にあたる場所での遺跡発見だったことから、「長岡京はもっと北の方まで広がっていたのではないか」という説に注目が集まりました。
この説は「大長岡京説」と呼ばれています。
そして2025年7月、京都市埋蔵文化財研究所がこの遺跡について新たな調査結果を発表しました。
調べたのは、南北に通っていたと考えられていた道の延長線上にあたる場所です。ところが、その西側からは、道路の一部とされる側溝が見つかりませんでした。側溝とは、道路の両わきにある水を流すための溝のことです。古代の道が本物かどうかを見きわめる手がかりのひとつとされています。
今回見つかったのは、長岡京の時代よりも後の時代につくられた耕作用の溝だったため、道路だったとは言いきれないことがわかりました。これにより、大長岡京説は少し見直しが必要になりそうです。
とはいえ、まったく何も見つからなかったわけではありません。調査が行われた周辺からは、太い柱を使った建物の跡が出土しました。柱の直径は30センチほどあり、高床式の倉庫だった可能性があるそうです。
さらに別の場所からは、地面に柱を直接立てた「掘っ立て柱」の建物跡も見つかっています。これらの建物は、役所のような特別な施設だった可能性もあると考えられています。
産経新聞によれば、長岡京にくわしい三重大学の山中章名誉教授が、これらの遺構が、桓武天皇が平安京にうつる前に使っていた仮の住まい「東院(とういん)」と関係していることを指摘しています。
仮にそうであれば、交差点や周辺の建物は、ただの町並みではなく、重要な役割をもった場所だったのかもしれません。
今回の調査で、都が碁盤の目のように広がっていたという説は一歩後退しましたが、新しい見方も生まれてきました。歴史の研究は、一歩進むたびに、新しい発見と、次の謎が現れます。
今後の発掘調査が、長岡京の姿をさらに明らかにしてくれることが期待されています。
長岡宮跡大極殿公園・朝堂院跡(京都府向日市)【アクセス】
最寄り駅 阪急京都線「西向日駅」:駅北口より北へ直進 徒歩約5〜7分 又は、JR京都線「長岡京駅」:徒歩約13〜15分 または阪急西向日駅までバス利用も可能
参考記事:「長岡京の拡大京域説は幻? 「説」を補強した道路跡確認されず」2025年7月29日産経新聞
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