「アホウの頂上、議員となす」福沢諭吉による政治家を痛烈に皮肉った狂詩が毒舌の極み!

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「アホウの頂上、議員となす」福沢諭吉による政治家を痛烈に皮肉った狂詩が毒舌の極み!

先生と 呼ばれるほどの 馬鹿でなし(川柳)……とは誰が詠んだか。

教師や医者などの専門家ならともかく、選挙で票を集めた「ただの人」である政治家が先生などとは片腹痛いものです。

呼ぶ方は権力者のご機嫌をとる処世術と目をつぶっても、呼ばれてご機嫌になっている政治家センセイ等は目も当てられません。

かの福沢諭吉もそのように思っていたようで、今回はとある代議士センセイ(国会議員)とのエピソードを紹介したいと思います。

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上京してきた代議士センセイ

加藤六蔵(画像:Wikipedia)

今は昔し、愛知県から選出された加藤六蔵(ろくぞう)という新人代議士が上京して、諭吉を訪ねて来ました。

用件は何だったのか、おおかた著名人に対する挨拶回り程度の認識でしょう。

「愛知選出の加藤でございます。福沢様におかれましては、今後ご指導ご鞭撻いただけますよう……」

なんてしおらしい態度はそこそこに、初当選の喜びと、立身出世を果たした興奮を語り出したのかも知れません。

そんな話を愛想笑いで聴き続けるほど暇ではない。諭吉は笑って言いました。

「実にめでたい限りですな。せっかくですから、ひとつお祝いの詩など献じましょう」

諭吉自ら筆をとり、自分のために詩を詠んでくれるとは……いただいたら方々へ自慢してやろうと六蔵は喜んだことでしょう。

アホウの頂上、議員(センセイ)となす

福澤諭吉(画像:Wikipedia)

……で、詠まれた狂詩がこちら。

道楽発端称有志

阿呆頂上為議員

売尽伝来田畑去

貰得一年八百金

【読み】
道楽の発端、有志に称す。
阿呆(アホウ)の頂上、議員と為(な)す。
伝来の田畑を売り尽くして去り、
貰い得たり、一年八百金。

【意訳】
道楽に手を染める時は、たいてい志を言い訳にするものだ。
そんなアホウの頂点こそが、政治家と言えるだろう。
選挙資金を捻出するために、先祖伝来の田畑を売り尽くしてしまったのか?
その代償が、年収800円ばかりとは笑えない。

……さすが諭吉らしい皮肉ですね。全員がそうとは言えないものの、そういう手合いは少なからずいるでしょう。

果たして、これを読んだ六蔵のリアクションが気になります。

皮肉に怒り出したか、あるいは戒めとして承ったか、それとも言い得て妙だと笑っていたら前途有望かも知れません。

志は道楽の隠れ蓑?

諭吉の詩に詠まれた通り、志を立てる者は往々にして道楽が本音であるものです。

「人生最後のご奉公」→老後の道楽に議員でもやろう。

「生まれ故郷に恩返し」→故郷に錦を飾りたい。

「政治を変えたい」→自分の名前を歴史に刻みたい。

お金や利権が欲しい、名誉や名声が欲しい、チヤホヤされたい……等々。

もちろん「そんな事はない!私は心から日本国や故郷を建て直したいんだ!」と心から思っている方も少なくないでしょう。

一方でそのような欲望がまったくゼロな方は、そもそも議員なんて志しません。

なぜならわざわざ議員などになろうとするより、今の自分にできることを、少しでも着実に進めていくからです。

もちろん志≒行動が先にあり、その実現手段として議員を目指す者もいるため、一概には言えません。

それでも志を道楽の隠れ蓑にする手合が絶えなかったことから、諭吉は「あなたはどうなんだろうね?」と問うたのでしょう。

終わりに

今回は政治家センセイを皮肉った福沢諭吉のエピソードを紹介してきました。

令和現代のセンセイがたにとって、耳の痛い内容だったかも知れませんね。

しかし彼らを笑ってばかりはいられないでしょう。なぜなら、彼らを選んだのは他ならぬ私たち有権者だからです。

「民主政治の質は有権者に比例する」とは誰が言ったか、日本国民の一人ひとりが少しずつでも意識を行くことが、政治不信を解消するキッカケとなるでしょう。

※参考文献:

本多静六『私の財産告白』近代経済人文庫、2022年11月

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