10歳以下の幼い子も…異国に売られていった日本人少女たち「からゆきさん」の売春の実態 (2/3ページ)
幕末に来日したオランダ人の軍医の記録の中に、日本人少女の売春について
「全然本人の罪ではない。大部分はまだ自分の運命について何も知らない年齢で早くも売られていくのが普通なのである。」(沼田次郎、荒瀬進共訳『ポンぺ日本滞在見聞記』雄松堂、1968年)
という文章も残っています。
彼女たちを海外の娼館へと橋渡しした斡旋業者、女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどと言ってその親に現金を渡しました。
親の方も娘の「奉公」の内容については大方の察しは付いたでしょうが、どうにもできないほど貧困が蔓延していたのです。
からゆきさんの隆盛と闇こうして日本人女性の海外渡航は明治末期にその最盛期をむかえました。
からゆきさんの主な渡航先は、シンガポール、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地で、さらに遠くシベリア、満州、ハワイ、北米(カリフォルニアなど)、アフリカ(ザンジバルなど)に渡った日本人女性の例もありました。
人身売買業者が長崎や熊本から彼女たちを運んだ船はひどい状況で、船の一部に隠されて窒息死する少女や餓死しそうになる少女もいました。
生き残った少女たちは香港、クアラルンプール、シンガポールで娼婦としてのやり方を教えられ、オーストラリアなど他の場所へ送られました。
からゆきさんの生活の実態当時日本では彼女たちの生活の実態はほとんど知られていなかったものの、からゆきさんを題材にしたルポ『サンダカン八番娼館』(1972年、山崎朋子)が映画化され、その実態が徐々に明らかになっていきました。