家康を二度破った知将・真田昌幸 武田信玄に“我が両眼の如し”と称された伝説的な戦功の数々【前編】
上野国の土豪として始まり、やがて豊臣秀吉の傘下に入り、さらに独立大名として戦国の世を颯爽と駆け抜けた真田一族。
その真田一族の中でも、真田幸隆・昌幸・信繁・信幸の三代にわたる事績を紹介していく。
今回は、兄二人の死によって真田家の家督を継ぎ、徳川家康に二度までも煮え湯を飲ませた、知将・真田昌幸を2回にわたり紹介しよう。
真田昌幸像「信濃真田家13代当主・幸正所蔵」(Wikipedia)
数々の戦功で信玄の絶対的な信用を得る真田氏の実質上の二代目が真田昌幸であり、真田信繁の父にあたる。
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「豊臣兄弟!」とも深い縁の戦国大名・真田氏の実質的な祖「真田幸隆」とは何者か?昌幸は、真田氏を再興した真田幸隆の三男として1547年(天文16)、甲府で生まれたと推測されている。
7歳のとき、昌幸は武田信玄の近習として武田家に出仕したが、父・幸隆が外様の先方衆であったためか、人質待遇であったともいわれている。
しかし、奥近習衆として信玄の信頼を得ると、甲斐の名族で名跡が絶えていた武藤氏の養子となり、「武藤喜兵衛」と名乗るようになる。これは、同母兄に嫡男・信綱、次男・昌輝がいたため、昌幸が真田家の家督を継ぐ可能性が低かったことによると考えられる。
1567年(永禄10)、武田勝頼の嫡男・信勝が誕生した際には、武田家宿老である山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、土屋昌続らとともに、信玄の使者を務めており、昌幸はこの頃すでに重臣、あるいはそれに準ずる地位にあったと見られている。
その後も、1569年(永禄12)の北条氏との三増峠の戦いや、1572年(元亀3)の信玄による西上作戦における三方ヶ原の戦いなどで、信玄麾下の将として数々の戦功を重ねた。
その結果、信玄をして「わが両眼の如き者」とまで言わしめるほどの、絶大な信頼を得るに至ったのである。
勝頼への出仕と上野攻略。そして武田家の滅亡1573(元亀4)年、遠征先で武田信玄が病死すると、昌幸は家督を継いだ武田勝頼に仕えることとなった。翌年には、病床にあった父・幸隆が死去し、真田家は長兄・信綱が総領となる。
しかし、1575(天正3)年の長篠の戦いで信綱と次兄・昌輝が戦死したため、昌幸が真田家に復して家督を継ぐこととなった。
その後、昌幸は勝頼をよく補佐し、上野国への侵攻を中心に武田家のために尽力する。しかし、天下の趨勢(すうせい)は織田信長の掲げる「天下布武」へと大きく傾いていた。
1582年(天正10)、信長は嫡子・信忠を総大将とし、総勢約10万人の大軍をもって武田討伐を開始。これに対し、高遠城を除く信濃の武田諸城は、ほとんど抵抗することなく降伏した。
こうした状況下、昌幸は完成間もない新府城を捨て、自らの居城・岩櫃城への退却を勝頼に進言した。しかし勝頼は、岩殿城の小山田信茂を頼った。その結果、信茂の裏切りにあい、最期は天目山で自害に追い込まれた。こうして、武田氏は滅亡したのである。
天正正午の乱と第一次上田合戦の勝利
武田家滅亡後、昌幸は本領の真田とともに上野の一部を領有する戦国大名として独立した道を歩むようになる。
しかし、武田滅亡からわずか3か月後に本能寺の変が起き信長が討たれると、武田旧領をめぐり徳川氏と北条氏が争う「天正正午の乱」が勃発した。この乱は、信長の子・織田信雄の仲介で講和が成り立つが、甲斐・信濃は徳川家康に、上野は北条氏政が切り取り次第と決まったのである。
こうして1585(天正13)年、家康は昌幸に上野の沼田領と吾妻領を北条氏に返還することを迫る。これに対し、昌幸は上田城に本拠を移し、越後の上杉景勝に次男・信繁を人質として送り、徳川氏に反旗を翻した。
この動きをみた家康は、真田氏の討伐を決意し上田を攻めた。これが「第一次上田合戦」である。この合戦での兵力は徳川勢7,000人に対して真田勢は1,200人ほどといわれる。
しかし、5倍以上の兵力差を昌幸は巧みな戦術で乗り切った。昌幸は上田城下の奥まで徳川勢を引き込むと、その軍勢に伏兵をもって火を放った。城下を焦がす紅蓮の炎に煽られ、退却しようとする徳川勢に長男・信之の別動隊が横矢を入れる。
さらに昌幸率いる本隊が大手門から突出して、一斉射撃の後に襲い掛かった。この攻撃に徳川勢は1,300余の将兵を失った。対して真田勢の犠牲はわずか40人ほどであったという。
「第一次上田合戦」は、真田方の大勝利に終わった。昌幸は、上田城をさらに堅城とすべく普請と拡大を続けた。これが後の「第二次上田合戦」に活かされていくのである。
さて、[前編]はここまで。[後編]では豊臣秀吉麾下の大名となった真田昌幸についてお話ししよう。
※参考文献
高野晃彰著・編集 『真田幸村歴史トラベル 英傑三代の地をめぐる』メイツユニバーサルコンテンツ刊
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
