江戸の警察官「与力」と「同心」八丁堀七不思議にみる彼らの独特の暮らしぶりとは【前編】 (2/3ページ)
禄高から見れば旗本クラス(将軍に御目見えできる身分)ですが、与力は将軍に謁見を許されない「御目見え以下(御家人)」と位置づけられていました。
その理由は、与力は百姓や町人を扱う身分であり、処刑を行うのは上級武士の仕事ではないと考えられたからです。
実際のところ、200石の旗本の暮らしは意外と苦しかったようで、中間などを雇わない者も多く、また馬の維持も大きな負担だったようです。
一方、奉行所の与力は御目見え以下ではありますが、実質的に町奉行所の業務を担っているため、諸大名や幕臣・寺院・大店の商家などからの付け届けが少なくありませんでした。
大名家からの頼みごとで働くことも多く、大名家から支給される金銭や季節の頂戴物は御出入りと呼ばれ、なかば公認の役得だったといいます。
もっとも『江戸町奉行事蹟問答』には、同心には「与力の勤惰、不正などを注意しても聞かなければ、奉行へ密告する権利がある」とあり、与力と同心は互いを取り締まる相互監視体制となっていたようです。
奉行所の警察昨日を担った「同心」一方、同心の俸禄は30俵2人扶持という薄給ですが、与力と同様に付け届けがあったため暮らしは楽だったようです。
特に「隠密廻」「定廻」「臨時廻」の三廻は同心の最高位とされ、犯人の探索と捕物を行いました。
定廻は、昼は明四ツ(午前10時頃)、夜は暮六ツ(午後6時頃)に中間や小者、岡っ引などを数人連れて、自身番の番人に声をかけながら受け持ち区域を廻っていました。
同心は一定のコースを何年にもわたって廻り続けることで、複雑な江戸の地理やそこに住む人々の事情にも通じるようになります。
この見廻りは、江戸時代前期に火災防止を目的として始まり、のちに犯罪や風俗の取り締まりも対象となっていきました。
隠密廻の探索の対象は町人に限りません。