『べらぼう』で描かれる? 将軍・徳川家斉の大奥女中とイケメン僧侶の密会「感応寺事件」の末路 (3/3ページ)

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感応寺

もともと廃寺だった感応寺ですが、お美代の方が家斉に頼み込み、名前だけを引き継いだ形で雑司ヶ谷(東京都豊島区)の広大な土地に寺を建築・復興しました。住職を務めたのは、お美代の方の実父「日啓」。

将軍家が後ろ盾についている感応寺は大名らからも絶大な信仰を受けるようになります。なかでも、熱心に参詣に訪れるようになったのが大奥の女中たちでした。

普段から外出禁止や禁欲生活などを強いられている彼女らにとって、唯一外出が許された感応寺は息抜きできる貴重な場所となったのです。

イケメン僧侶に会いたいの…

いつしか感応寺には、大奥女中たちが頻繁に参詣するように。

実は、女中たちにはある秘密の目的があったのです。それは寺にいるイケメン僧侶たちと密会することでした。

感応寺の住職となった日啓は、イケメン僧侶を揃えて男に飢えた大奥の女中らを味方につけることで、より権力を掌握しようと考えます。そんな日経の手により、接待役のイケメン僧侶と大奥の女中たちの間には、乱れた肉体関係が築かれていきました。

淫行の果てに

ついには、イケメン僧侶のことが恋しくなって感応寺に忍び込む女中も現れるように。

しかしあるとき、寺と大奥の女中の関係に勘づいた寺社奉行が抜き打ち調査を行ったことで、感応寺と女中らの淫らな関係が発覚します。なかには、寺に運ばれる長持の中に隠れて忍び込もうとする女中も見つかったとか。

抜き打ち調査で問題視された感応寺ですが、家斉の後ろ盾もあり深くは追求されませんでした。

しかし、家斉の没後には老中「水野忠邦」によって島流しの刑に処されています。

一方、お美代の方と養父の清武は関与を否定して、ちゃっかり責任を回避しているというから「したたか」としか言いようがありません。

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