「べらぼう」胸に息づく平賀源内のあの言葉!怒りで暴徒と化す ”新之助の義” に粋に訴えた ”蔦重の義”【後編】

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「べらぼう」胸に息づく平賀源内のあの言葉!怒りで暴徒と化す ”新之助の義” に粋に訴えた ”蔦重の義”【後編】

「妻子が殺された現実から逃げずにきちんと向き合わねば」と言っていた新之助は、「世の中が悪い、田沼意次(渡辺謙)が悪い」という考えに囚われデマに煽動され、蔦重の「もうすぐ田沼様が米を配ってくれる」という声に耳を貸さずに、己が「義」と感じる「米屋の打ち壊し」へと猛進する一方。

新之助を心配する蔦重は「田沼の手先に話せることはないな」と吐き捨てられた挙句に、興奮した長屋の長七(甲斐翔真)らにボコボコにされてしまいます。

NHK大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより

血を流しつつ立ち上がった蔦重に浮かんだ言葉は「くっそ〜、馬鹿どもめ」でも「新之助のやつめ」でもなく、「我が心のままに生きる」という平賀源内(安田顕)の言葉。

暴徒となり「打ち壊し」をすることが「義」とする新之助に対し、蔦重ならではの「義」が始まりました。

【前編】の記事はこちら↓

「べらぼう」が描く問題はまるで今の日本。怒りで暴徒と化す ”新之助の義” に粋に訴えた ”蔦重の義”

平賀源内の言葉が胸に息づいている蔦重の義

「米を売らないほうが儲かるから米屋は売らない。それを罰するほうも共に儲けているから罰しない。そんな己の金のことしか考えない田沼の作ったこの世に(妻子は)殺された」

新之助のこのセリフは、まるで令和の今を表しているようで、いつもタイムリーな森下脚本には驚かされます。

そして、新之助は、一方的な情報(政治の失敗は「すべて田沼のせい」)しか耳に入らない世界で生きているため、「義憤にかられて打ち壊しをすること」が己の「義」と考えてしまうのでした。

真実は、田沼は“お救い米”を配るために奔走→“田沼憎し”しか頭にない松平定信(井上祐貴)が米の調達を遅らせる→蔦重の配った読売(瓦版)で“20日に米が届く”と信じていた民衆は激怒し、奉行所に詰めかける→突然男が「役人が米がないなら犬を食えと言った」と叫んで怒りを煽る→そのデマを信じた民衆がさらにエキサイト→打ち壊しへと猛進

……ほかの地域で打ち壊しが起こっていることもあり、民衆は「いざ打ち壊しへ!」と盛り上がります。このムーブは止めようもないと思った蔦重。一度「これが正義!」と思い込んだ人の「義」は、「それはおかしい」と諌める声は耳に入らないまま、大きな渦となり破滅の方向に「それが正しい」と突き進んでいきます。

そんな新之助の姿を見て、蔦重はかつて平賀源内(安田顕)が胸に手を当てて語った言葉を思い出しました。「自らの思いによってのみ、我が心のままに生きる。わがままに生きることを自由に生きるって言うのよ」という言葉。「わがままを通してんだから、きついのは仕方ねぇよ」と笑っていた源内。

NHK大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより

誰かに命じられたわけでもなく己の意思で人生を選ぶ。わがままに自由に生きる。だから、自分の思いのまま打ち壊しをする。そんな新之助の「自由」を蔦重がとめる権利はない。

けれども、そうであるならば、その新之助の「義」がせめて「正しく世の中に伝わる」方法を示し、死者がでるなど後悔するような結果に終わらせない、と決意する蔦重。同じ源内先生の弟子であった「新之助の義」を、放置しないし、傍観もしないで正しい方法で叶えるために手伝う……それが「蔦屋重三郎の義」なのでした。

声高に叫ぶだけではなく主義主張を明確にする

打ち壊し用の武器を集めている新之助たちの長屋に、蔦重が再び訪問します。「やあ〜皆さん!」と臆さずに近づいてくる蔦重のメンタルの強さはさすがですね。新之助も蔦重とは袂を分かったと思っていたので驚いたでしょう。「何しにきやがった」と色めきだつ長屋の人々。

「てめ、奉行所に告げ口したんじゃねえだろうな」という人々の言葉も、まったく意に介さず「差し入れに来た」と風呂敷包みを開きます。中には布と筆と硯が。

新之助に、打ち壊しを止めに来たわけではない、「自らの思いによってのみ、我が心のままに生きる。わがままに生きることを自由に生きる……と源内先生も言ってたし」と、自分の思いを伝えます。やはり、血気盛んになっているとは言っても、源内の弟子であったことを思い出した新之助でしたね。

蔦重は持参した布に「親さんの思いを書いて“のぼり”を作ったほうが絶対に主張は伝わる」と提案し、「けれども、この布も高いので“俺の我儘も聞いて欲しいんでさ”」と言います。それは、「誰一人、つかまらねえ、死んだりしねえことです。」と皆を見渡し「お願いします」と深々と頭を下げる蔦重。

またまた、軽率な長七が「きれいごというな!へへへ」と茶々を入れてバカにします。(こういうやついるよな、必ず。最後まで聞いて真意を学べよ、と思いつつ観てましたが)

蔦重は取り合わないどころか、「誰も傷つけない罪も犯さない打ち壊しにしよう。長七さん、いい打ち壊しだったねえ、と皆で飯食って笑い合おう」と軽妙な語り口で情感を込めて提案し、彼らを黙らせます。この“伝える力”はさすが名プロデューサーのエンタメ王という上手さでした。

NHK大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより

この「蔦重の義」は新之助にも伝わりました。「カラッといきてぇじゃねぇですか、江戸の打ちこわしは」に「喧嘩だな。打ち壊しが喧嘩なら江戸の華で済む」と返します。

理性のないただの暴徒と化した打ち壊しでは、被害者や死人が出てしまう。けれども、主義主張を書いた“のぼり”を持って米屋に喧嘩を売るのであれば、喧嘩両成敗の江戸のこと、罪も軽くて済みます。「文字と言葉を使って訴える」この提案は新之助はもちろん、長屋の人々にも伝わりました。

自分に暴力を振るう長屋の連中にも深々と頭を下げるという成長ぶりを見せた蔦重。大店の主人らしい貫禄が身についてきましたが、若い頃の源内の言葉をしっかり胸に抱いている。プロデューサーとして痛快な仕事の進め方は数多く見てきましたが、今までの中で一番、「人間として」かっこよかったですよね。

そんな「蔦重の義」は、自分の身を慮って体を張ってやってくれていることとすぐに理解する新之助は、やはり「理」を持っていたとうれしく感じたシーンです。

「金を視ること勿れ。すべての民を見よ。世をたださんとして、我々うちこわすべし」

NHK大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより

新之助が筆で書いたこの言葉こそ、真の「新之助の義」を表したもの。その本当の「義」を引き出した、体を張った「蔦重の義」を通したのも立派でした。

お互いに立場は違えども、やはり若い頃に源内先生に学んだことは残っていたのだと感じる場面でした。

クセの強い癇癪小僧の松平が今後どう影響するのか

それにつけても、「田沼憎し」に凝り固まり、「民衆の食糧事情」よりも己の私憤を晴らすことにやっきになっている松平定信(井上祐貴)。「私ももう小僧ではないのでな」には「こりゃ、小僧が言うセリフだな」とちょっと笑えました。

そんな癇癪小僧の「お前にはわかるまい」という嫌味なセリフに「かたじけのうございまする」と深々と頭を下げる田沼意次(渡辺謙)。

蔦重もそうですが、腹の立つ相手でも「誰かを救うため」には深々を頭を下げることができる……いつの時代も、こういう人が世を動かすのではないかと感じました。

蔦重と新之助はお互いに理解し、互いの「義」が通じ合ったかと思いましたが、次回の予告を見ると、またしても不穏な動き。嫌な予感がします。

急転直下に内容が動く森下脚本に引き込まれながらも、たまには平和で何も起こらない回を挟み込んで欲しいなとつい思ってしまいます。

たとえば、「おていさんの1日」とか、瀬川がいい夫と結婚して幸せになり耕書堂の『江戸生艶気樺焼』を読みつつ「これはまた、べらぼうな本を作ったねえ」と笑っているところとか、『江戸生艶気樺焼』の主人公艶次郎を主人公にした劇中劇の続きとか。

「特に何も起こらない」ほのぼのした脚本の回を作ってくれないかななどと思いつつ、激動の次回も見逃せません。

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