【べらぼう外伝】松平定信に重用された火付盗賊改方・森山孝盛はなぜ「鬼平」長谷川平蔵を批判したのか? (3/6ページ)

Japaaan

確かに平蔵は高い実績を誇っていたものの、ご禁制であった岡引(おかっぴき)を採用しており、それを批判したのです。

岡引(目明し等とも)とは私的に雇われた前科者で、情報収集や犯罪捜査に威力を発揮しました。

いくら実績を上げていようとも、その手段がルール違反であっては、社会秩序を守る者として示しがつきません。

ルールを守らせるからには、自身も(不合理であろうと)ルールを守るべきと考えていたのでしょう。

こういう性分は松平定信に通じるものがあり、彼から重用されたのも解ります。

※参考:

『べらぼう』松平定信(井上祐貴)を転落へと追い詰めた事件とは?正論の押し付けが仇となり一橋治済とも対立

森山一族・こぼれ話

徳川家康が「森山」と書いたのだから、苗字の方を改めねばならなかった?(画像:Wikipedia)

時に森山一族は近江国守山が発祥で、後に信濃国佐久へ移住した際に現地を守山と名づけ、苗字としました。

のち守山豊後守俊盛の時代、徳川家康が発行した朱印状に「森山」と誤記されたため、表記を森山に改めます。

ただし正保から貞享(1644~1688年)の期間は日記に「守山」と記し、元禄(1688~1704年)以降は「森山」と記すようになりました。

「【べらぼう外伝】松平定信に重用された火付盗賊改方・森山孝盛はなぜ「鬼平」長谷川平蔵を批判したのか?」のページです。デイリーニュースオンラインは、森山盛芳森山孝盛守山俊盛徳川家治火付盗賊改方カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る