徳島の地名に残る「蜂須賀」とは誰? 刀より知恵で国を治めた戦国武将・蜂須賀家政の生涯【後編】
徳島に暮らしていれば、「蜂須賀(はちすか)」という名前に聞き覚えがある人も多いでしょう。でも、名前の由来まで知っている人は、案外少ないかもしれません。
由来となった人物の名前は、蜂須賀家政(はちすか いえまさ)。
【前編】の記事はこちら:
徳島の地名に残る「蜂須賀」とは誰? 刀より知恵で国を治めた戦国武将・蜂須賀家政の生涯【前編】
阿波国――つまり現在の徳島県を治めた初代藩主です。大きな時代の波を読み、刀よりも知恵で国を守った「生き残りの名手」とでも呼ぶべき人物の生涯を紹介します。
※あわせて読みたい:
蜂須賀小六は盗賊じゃなかった?祖先の汚名を雪ごうとした子孫のエピソード豊臣秀吉がこの世を去ったあと、日本の政治の主導権は徳川家康へと移っていきます。
阿波を治めていた家政にも、選ばねばならない時が来ました。旧主・豊臣に忠義を尽くすか、それとも時代の流れに乗るか。どちらが正しいか、簡単に答えが出るはずもありません。けれど家政は、家の存続を選びました。
自身は動かず、息子の至鎮(よししげ)を東軍として関ヶ原へ送り出したのです。これが結果的に功を奏し、蜂須賀家は徳川から所領を安堵されます。
隠居しても“動き続ける人”1600年、家督を譲って隠居した家政ですが、政務から完全に手を引いたわけではありませんでした。
市の復興、年貢の免除、村の争いの調停……。
肩書きは退いても、土地と人を見つめるまなざしは変わりませんでした。むしろ、気負いが取れたぶん、より地域に寄り添った動きができたのかもしれません。
戦国の武将にして文化人家政は、単なる政治家や武将といった枠組みで収まる人物ではなかったようです。茶の湯をたしなみ、千利休とも親交を持った文化人でもありました。
さらには、当時迫害されていたキリスト教徒にも理解を示し、密かに保護していたという話も伝わっています。
そうした柔軟な精神性は、激動の時代を生きた男の“芯の強さ”でもあったのでしょう。刀を持つ手とは別に、茶碗を持つ手があった。そう思うと、少し胸が温かくなります。
「古狸」と呼ばれた知恵者の最期家政は81歳まで生きました。当時としては、まれな長寿です。その目で、徳川の世が始まり、蜂須賀家の礎が固まるのをしっかりと見届けたうえで、静かにこの世を去ります。
伊達政宗は、彼のことを「阿波の古狸」と呼びました。裏をかき、人を出し抜くという意味ではありません。見通しの深さ、先を読む力に敬意を込めたあだ名だったのだと思います。
蜂須賀家政の名前は、学校の教科書で大きく扱われることはあまりありません。けれど、確かに彼は時代の一隅を担い、静かに、深く、土地を支え続けました。
戦に勝つより、民を守る。名を上げるより、地を整える。そんな価値観を生き抜いた人が、たしかにいたということを、私たちは忘れべきではありません。華やかさよりも、確かさを。威光よりも、暮らしを。歴史とは、そうした静かな営みの積み重ねでもあるのです。
参考文献
白石一郎「阿波の狸」『弓は袋へ』新潮社 1991 石躍胤央・他『徳島県の歴史』山川出版社 2007
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

