【べらぼう】将軍家に種をまくため養女に送り出された松平定信の妹・種姫の短すぎた生涯…
将軍家に田安の種をまくため、徳川家治の養女に送り出された種姫。NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、小田愛結さんが演じました。
NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」公式サイトより ©NHK
種姫はどんな女性で、その後どんな生涯を送ったのでしょうか。
という訳で、今回は松平定信の妹・種姫について紹介したいと思います。
紀州藩嗣子・徳川治宝と結婚
種姫は明和2年(1765年)7月5日、田安宗武(第八代将軍・徳川吉宗次男)の七女として誕生しました。
母親は山村氏(香詮院殿)、松平定信は実兄。7歳となった明和8年(1771年)に父の宗武を亡くします。
やがて安永4年(1775年)、種姫は11歳で第10代将軍・徳川家治の養女となって大奥に入りました。
成長したら将軍世子・徳川家基の正室にと考えられていたようですが、安永8年(1779年)に家基が急死してしまいます。
松平定信はアテが外れ、大いに悔しがったことでしょう。
そこで天明2年(1782年)2月7日、18歳となった種姫は紀州藩主の嗣子・徳川岩千代(のち徳川治宝・はるとみ)と婚約しました。
岩千代は当時12歳、種姫より6歳年少です。
天明3年(1783年)4月15日に結納を交わし、天明7年(1787年)11月27日に輿入(結婚)しました。
ちなみにここまでの間、天明6年(1786年)に養父の家治が亡くなり、翌天明7年(1787年)に実兄の定信が老中となります。
豪華な婚礼と紀州藩士の不満
将軍家の姫が輿入したのは利根姫(とねひめ。第8代・徳川吉宗養女)以来半世紀ぶりで、その婚礼行列は豪華を極めたそうです。
しかし豪華な婚礼費用を工面するため、紀州藩士らは6年間の半知(はんち。知行≒年俸を半減)を命じられました。
現代の感覚で言えば「社長の息子が結婚するから、6年間は給料半分ね!」と言われるようなもの。紀州藩士らは大いに困窮したことでしょう。
しかも種姫に従って紀州藩邸へやって来た女中たちは、大奥に比べて生活のグレードが下がったことに不平不満を言い立てました。
こちとら紀州を半分にされてまで迎えたのに、自分たちより遥かにいい暮らしをしている連中の不満など聞かされてはたまりません。
紀州藩士らは、種姫一派に内心の不満を溜め込んだことでしょう。
かくして紀州藩へ嫁いだ種姫。彼女は寛政6年(1794年)1月8日に30歳という若さで世を去ってしまいました。
紀州家の希望によって種姫の遺体は紀州長保寺(和歌山県)へ葬ることとなり、同年5月27日に葬られます。
法名は貞恭院(じょうきょういん/ていきょういん)。二人の間に子供はいなかったようです。
終わりに・大河ドラマでの再登場は?
今回は田安家の種姫について、その生涯をたどってきました。
NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」にはもう登場しなさそうですが、紀州藩邸での生活や、徳川治宝との夫婦関係なども興味深いですね。
田沼政権の崩壊により、実兄・定信が台頭していく中で、彼女はどんな役割を果たすのでしょうか。
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※参考文献:
関口すみ子『大江戸の姫さま』角川書店、2005年日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
