猿回しから生き人形、そして鬼娘まで――江戸時代の「テキヤ」が行っていた見世物がヤバすぎた
「見世物」が大流行
江戸時代から続く反社会的組織の系譜の一種として「テキヤ」があります。このテキヤという名称や、反社会的組織との関係性については現在でも引き継がれているところがあります。
現代の警察白書でも、テキヤは「縁日や祭礼などに際し、境内や街頭で営業を行う露天商や大道芸人などの集団のうち、縄張りを有している者」と定義されており、テキヤのこうしたスタイルも江戸時代から基本的には変わっていないと言えるでしょう。
しかしテキヤが仕切る祭礼や行商人の商売において、江戸時代と現代とでちょっと異なるものがあります。当時は、今よりも「見世物」が大流行りだったのです。
さて、テキヤが仕切る商売と言えば縁日の屋台が真っ先に浮かぶと思いますが、江戸時代にテキヤが行っていた「見世物」の芸の種類には曲芸や軽業・手品・奇術・物真似・講釈などがありました。
これらは人の気を引く突飛なものが多く、事前にビラなどを配って告知することで、寺社や縁日、街頭に大勢の見物人が集まったといいます。
そうして大道芸人が芸を披露し、投げ銭という形で見物料をもらっていました。
両国広小路や浅草奥山などの有名な盛り場や寺社の境内には見世物小屋が設けられ、大道芸人にとっては格好の稼ぎ場となっていました。
寛永寺のお膝元である上野山下もそのひとつでした。『仕掛人 藤枝梅安』にも、見世物の仮小屋や茶店などが建ち並んでいたという描写があります。
日本初の海外公演このように、テキヤは屋台や夜店のような商売だけではなく、サーカスのような商売も行っていたのです。
現在、世界にはさまざまなサーカス団がありますが、近世後期は日本の曲芸が世界最高峰のレベルを誇ったと言ってもいでしょう。
こうした曲芸は幕末になると海外でも知られるようになり、早竹虎吉という人物は日本人として初めて海外公演を行っています。
早竹虎吉「江戸の花」1857年歌川国芳画(Wikipediaより)
虎吉の芸は手やひもの上で独楽を自在に操る「曲独楽」、1人で2人が相撲を取っているように見せる「一人相撲」などがあり、いずれも人気を博しました。
「怖いもの見たさ」もアリこうした見世物では、籠や貝、瀬戸物などで伝説の人物や鳥獣草木の巨大な人形・細工をつくり、興行にかける細工見世物も好評でした。
中には、妖異や怪異といった非日常空間を大胆に表現したものもあったようです。
さらに細工見世物がリアリズムの方向に進むことで、まるで生きているような表情が売りの「生き人形」が登場。こうした種類の細工見世物は松本喜三郎という天才職人を中心に展開し、肌の質感もリアリティにあふれていました。
1857年の興行のチラシ。松本喜三郎製作の等身大人形が展示されると記されている(Wikipediaより)
さらに海外からゾウやラクダなどが舶来すると、それをひと目見ようと多くの人たちが集まりました。「珍しい動物を見れば、ご利益を授かれる」ともいわれ、有り難がられたようです。
また変わりダネとしては、死体を食うなどという触れ込みの「鬼娘」、全身に熊のような毛が生えた娘の「熊女」、蛇を首や体に巻き付けたりする「蛇使い」などの芸もありました。
この辺になるとちょっと引いてしまいますが、とにかく怖いもの見たさであれ何であれ、いかに物珍しい芸で客を惹き付けるかが見世物の成功のポイントでもあったのです。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia
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