江戸時代の高利貸しの金融業者「札差」とは何者だったのか?その実態と没落 (2/3ページ)
一方で札差の側も、借金を返済しない旗本や御家人に対して、江戸城前で待ち伏せて借金返済を求める旗を振ったり、自宅に押しかけて玄関に居座ったりするなどしました。
訴訟の7割は金銭トラブル享保3年(1718)の江戸町奉行所の訴訟総数は、4万7731件にのぼります。
このうち金銭訴訟は3万3037件を数え、全体の約7割に達していました。
このような状況下で、享保4年(1719)には8代将軍徳川吉宗によって相対済令が出されました。
相対済金は江戸周辺を対象とした法令でしたが、債務者が、債権者にとって回収が困難な遠隔地にいる場合は、奉行所が債権者をサポートするというものでした。
吉宗の相対済令よりも約30年前に出された寛文3年(1663)の相対済合では、6里(約24キロメートル)以上離れた遠方の債務者とのトラブルは不受理としていましたので、相対済令は、債権者保護をより強めたものといえるでしょう。
享保5年(1720)には、借金を踏み倒そうとする不埒者がいた場合には、札差は町奉行所に訴えるようにと述べています。
また、札差とよく似た金融業者に掛屋があります。掛屋は主に諸藩から大坂にある大名の蔵屋敷に送られてきた年貢米と産物を換金し、それを大名に送金する仕事をしていました。