【べらぼう】劇中で喜多川歌麿を支援した釜屋喜兵衛(U字工事 福田)とは何者?その生涯をたどる
NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」皆さんも視ていますか?
第37回放送「地獄に京伝」で登場した栃木の豪商・釜屋伊兵衛(益子卓郎)。憧れ?のお江戸でハイテンションな様子が印象的でした。
益子卓郎演じる釜屋伊兵衛。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK
劇中では喜多川歌麿(染谷将太)に肉筆の襖絵を依頼していましたが、今後も登場・活躍するのでしょうか。
という訳で、今回はそんな釜屋伊兵衛……の一族・釜屋喜兵衛(かまや きへゑ/福田薫)について紹介したいと思います。
歌麿はじめ多くの書画家を支援
U字工事福田が演じる釜屋喜兵衛。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK
釜屋喜兵衛は明和5年(1768年)、下野国都賀郡栃木下町(栃木県栃木市)で生まれました。
本名は善野雅長(ぜんの まさなが)、質屋や醤油屋を営む釜屋の4代目を継ぎます。
釜屋は栃木でも有数の豪商で、喜連川藩の御用達商人も務めていました。
ちなみに釜屋は他(※)にもあったので、区別するため釜喜(かまき)の屋号でも呼ばれます。
(※)ほか釜伊(かまい。釜屋伊兵衛、中町)、釜佐(かまさ。釜屋佐次兵衛、上町)。
そんな喜兵衛は豊かな財力を活かし、劇中でも言及された喜多川歌麿はじめ、多くの浮世絵師や書画家を支援しました。
市河米庵(いちかわ べいあん) 大西椿年(おおにし ちんねん) 小山霞外(おやま かがい) 高久靄厓(たかく あいがい) 渡辺崋山(わたなべ かざん)……等々。寛政の改革で冷え切っていた当時の芸術文化を底支えした功労者の一人と言えるでしょう。
狂歌師・戯作者「通用亭徳成」として活躍
そんな喜兵衛は自身も創作活動に意欲が高く、狂歌師や戯作者としても活躍しました。
通用亭徳成(つうようてい とくなり)と称して唐衣橘洲(浜中文一)に入門。やがて判者を務めるまでに成長します。
後に息子の通環亭真袖(つうかんてい まそで)も狂歌師となり、父子で狂歌界を沸かせました。
米寿(べいじゅ。88歳)を迎えた安政2年(1855年)には栃木の料亭「柳園」で大狂歌会を開催。全国から約900名もの狂歌師が参加し、その中には上野国(群馬県)の柳直成(やなぎ ただなり)や下野国の河野守弘(こうの もりひろ)らも名を連ねます。
そのイベント規模から、喜兵衛の永年築き上げた人望の厚さが分かるでしょう。
翌年には記念狂歌本『都賀(つが)のやままつ』を出版しました。
また戯作者としては天保8年(1837年)に長編の合巻『敵鰹差身之業物(かたきにかつを さしみのわざもの)』を出版。そこには歌川芳虎(よしとら)・歌川芳升(よします)・歌川芳宗(よしむね)らが絵を入れています。
終わりに
釜屋喜兵衛(左/U字工事福田)と釜屋伊兵衛(U字工事益子)。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK
そんな喜兵衛は安政3年(1856年)11月24日に89歳で世を去りました。
法名は興禅院感誉浄翁居士(こうぜんいん かんよじょうおうこじ)、墓所は菩提寺である近龍寺に眠っています。
釜屋伊兵衛ともども江戸の文化を支えた釜屋喜兵衛。今後も活躍してくれるか、楽しみですね!
※参考文献:
市古貞次 監修『国書人名事典 3巻』 岩波書店、1996年 上田正昭ら編『日本人名大辞典』講談社、2001年 渡辺達也『新考証 歌麿と栃木』歌麿と栃木研究会、1991年日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan