『べらぼう』蔦重の実両親は?須原屋市兵衛その後、歌麿の胸中…10月26日放送内容の深堀り解説

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『べらぼう』蔦重の実両親は?須原屋市兵衛その後、歌麿の胸中…10月26日放送内容の深堀り解説

須原屋市兵衛(里見浩太朗)の身上半減処分を受けて、江戸の街を再び華やかにしようと意気込む蔦重(横浜流星)。書を以て世を耕す精神は、身上半減なんかで潰えはしない……苦境にあって、ますます闘志を燃やすのでした。

いっぽう江戸へ戻って来た喜多川歌麿(染谷将太)は、蔦重の商才に感心しつつ、愛妻の生前は忘れていた蔦重への思いをぶり返してしまいます。

滝沢瑣吉(津田健次郎)の要らぬちょっかいこそやり込めたものの、傷つく歌麿の胸中を見抜いたつよ(高岡早紀)とのやりとりに、胸打たれた視聴者も少なくなかったことでしょう。

そんな中、幕府内では行き過ぎた改革によって孤立を深めていた老中・松平定信(井上祐貴)が一橋治済(生田斗真)と政争を展開。難局を切り抜けつつも「尊号一件」によって将軍家との対立が決定的となるのでした。

つよの体調異変が気になる第41回放送「歌麿筆美人大首絵」、今週も気になるトピックを振り返ってまいりましょう!

須原屋市兵衛その後

蔦重に後を託す須原屋市兵衛。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK

林子平『三国通覧図説』を出版したことにより、寛政4年(1792年)5月16日に蔦重と同じ身上半減の罰を受けた須原屋市兵衛(2代目・宗和)は、この後隠居してしまいます。

3代目を襲名した須原屋市兵衛和文は文化3年(1806年)に発生した文化の大火で大打撃を受けました。

その後は万亭叟馬『由利稚野居鷹』や曲亭馬琴『三七全伝南柯夢』などを出版したものの次第に勢いが衰え、文化8年(1811年)に2代目宗和が世を去ってからは単独出版から共同出版に移行します。

文政6年(1823年)に3代目和文が世を去ると、須原屋は休株(空席)となったのでした。

実際にはまだまだ生きるものの、劇中ではこれで退場となるのでしょうか。

蔦重を若い頃から温かく見守り続けた市兵衛が第一線を退いたことは、蔦重にとって大きな動揺をもたらしたと思われます。

魂消た駒下駄吾妻下駄

美人大首絵の背景に雲母摺を採り入れる蔦重の発想に感心する歌麿。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK

「たまげたこまげたあづまげた」日ごろあまりダジャレを言わない歌麿から飛び出した、商魂たくましい蔦重への賞賛というか呆れというか……ゲタゲタゲタと笑うのはかえって野暮でしょう。

ところで駒下駄と吾妻下駄とは、一体どんな下駄なのか気になりました。

駒下駄とは、駒(馬)の蹄を模した足(歯)がついているから、その名前がつけられたと言います。こうすると一文字の差込歯より作るのは大変そうですが、強度は高そうですね。

いっぽう吾妻下駄とは、吾妻という名の吉原遊女が履いたことからその名がつきました。差込歯の底面に棕櫚表(しゅろおもて)が張られ、足音と歯の減りを抑える効果が期待されたのでしょうか。

皆さんも今後、何かに魂消た時は「たまげたこまげたあづまげた」と使ってみると、苦笑いしてもらえるかも知れません。

※ちなみに「玉下駄」という下駄はないかと調べたところ、下駄の底面の球体の一本歯を入れた玉下駄が売っていました。

加藤千蔭『ゆきかひぶり』とは

加藤千蔭に会う蔦重夫婦。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK

『源氏物語』の名文や和歌を、美しい書体で読みたい……そんな女性たちのニーズを引き出したいと考えたおていさんは、蔦重と一緒に書家の加藤千蔭(中山秀征)にお願いします。

そこで寛政4年(1792年)に出版された『ゆきかひぶり』。黒地に白抜き文字という斬新な趣向が、洗練された書体の妙味をいっそう引き出し、読者たちを魅了したことでしょう。

幼いころから学問や書物に親しみながら、女性であることを理由に受け入れられなかった彼女らしいアイディアでした。

ちなみに加藤千蔭は他にも蔦重や尾張の永楽屋東四郎(えいらくや とうしろう)と『万葉集略解』を出版したり、曲亭馬琴(滝沢瑣吉)の師となったりなど、深く関係を持ちました。

他にも千蔭の書を陶器に焼いた千蔭焼きや、織物に織った千蔭緞子(~どんす)など、芸術的な筆跡が様々に表現されたと言います。

劇中ではこれっきりの登場なのか、それとも今後も活躍して存在感を発揮していくのか、注目していきましょう。

綺麗な抜け殻だけ残ればいい……歌麿の胸中

セミは7日で死ぬけれど、その抜け殻はけっこう残る(イメージ)

あくまで絵師と本屋の関係と言いながら、どうしても蔦重に惹かれてしまうことで、やり切れない歌麿。

つよは「伝わらなくていいのか」と尋ねますが、はっきり伝えたところで受け入れてくれるはずもないし、仕事もやりにくくなるだけです。

今の望みは、ただ綺麗な抜け殻だけが残ればいい。かつて生きていたセミが何を思っていたかは知らないが、セミたちが残した抜け殻は実に綺麗で、人々の心を動かす。そんな生き方を選ぼうとしていました。

実際に現代を生きる私たちが触れられるのは、例えば蔦重が出版した本だったり、歌麿が描いた錦絵だったり。そこから彼らの思いが直接伝わる訳ではありません。

今から百年もすれば、自分を知っている・覚えている人なんて、みんな死んでいなくなる。だからこそ、その裏にあったあれこれはどうでもいいから、綺麗な抜け殻だけを残したい。そんな思いに至ったのでしょう。

それにしても、悩みというものは聞いてもらえるだけでも随分と楽になるものです。少しずつ「おっかさん」に心を開きつつある歌麿にホッとする反面、間もなく訪れる別れに胸が痛くなりますね。

※喜多川歌麿の関連記事:

【べらぼう】喜多川歌麿(染谷将太)の生涯——浮世絵の権威から蔦重との別れ、画力・心身ともに衰弱へ…

蔦重の家族は?

意外と?親孝行だった蔦重。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK

実父が借金を作ってしまい、我が子を守るために駿河屋へ預けた……そんな真相を打ち明けられた蔦重。それを聞いて、日ごろ「ババア」と呼んでいたのが、今日に限って「おっかさん」と呼んでみました。

強く生き抜いてきた蔦重が今日あるのは、捨てられたからこそ。強くなければ生きていけないのだから、強くするために捨てたのだ……とは、捨てた側の自己弁護ですね。

ちなみに蔦重の実両親は、尾張の丸山重助(まるやま じゅうすけ)と、江戸の広瀬津与(ひろせ つよ)と言われています。

7歳の時に蔦屋(喜多川氏)へ養子に出されたと言いますが、実は養父について詳しいことは分かっていません。

※蔦重の養父を駿河屋市右衛門(高橋克実)としているのは、大河ドラマの創作です。

蔦重の養父は吉原仲之町で茶屋を営む蔦屋利兵衛(りへゑ)か、あるいは吉原江戸町二丁目の蔦屋理右衛門(りゑもん)など諸説あり、確証はありません。

大田南畝(桐谷健太)によれば、津与は教育熱心だったそうで、蔦重が成功をつかんだのはその賜物であると賞賛しています。

そんな教育熱心だった母親が、どういう理由で蔦重(柯理)を養子に出したのかは不明ですが、養子に出された後も蔦重と両親の仲は良好でした。

日本橋に進出した蔦重は自ら母親を招いており、少しは孝行したかったのではないでしょうか(父は別離中に亡くなっていた?あるいは本当にロクデナシだった可能性も……)。

第42回放送「招かれざる客」

第42回放送「招かれざる客」。恐らく何の悪気もなく、兄として純粋な気持ちで歌麿に密接する蔦重。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK

身上半減から店を立て直した蔦重(横浜流星)は、てい(橋本愛)の懐妊を知り、子どもの誕生を心待ちにする。一方、城中では定信(井上祐貴)が幕閣内で孤立し始めていた。

※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

「オロシャの船がやって参りました!」

時は寛政4年(1792年)、約9年半にわたり漂流していた大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)一行が、ロシアによって送られてきます。果たして松平定信率いる幕府はこれをどう迎えるのでしょうか。

いっぽう蔦重はおていさんの懐妊に喜びますが、歌麿の「蔦重とは終わりにします」という予告のセリフに、修羅場を予感させずにはいられません。

蔦重をめぐり、おていさんと歌麿の微妙な関係はこれからどのようになっていくのか……次週も注目してまいりましょう!

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