「べらぼう」源内生存説は有望!?退場しても存在感が薄れない“もう一度会いたいあの人”【平賀源内編】
今年の1月5日(日)から始まった、NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は、もうすぐ終わります。
さまざまな出来事が起こり、喜びもあれば急転直下地獄に突き落とされるような展開もあり、森下脚本に毎回ハラハラしながら見守ってきた人も多いことでしょう。
最終回は12月14日(日)を予定しているそうです。残すところ、あと6回。あれはどうなる?あの人はどうなった?など、気になることは山盛りです。
残りの放送が少なくなってきた今。終わることが非常に惜しまれるので、ここで、SNSやネット記事でも評判を呼んだ「もう一度会いたいあの人(orあの場面)」を回想・考察しつつ、あらためてその魅力を探ってみたいと思います。
今回は、第44話の副題『空飛ぶ源内』で、再び注目されている平賀源内です。
【べらぼう】生きていた源内!?次回11月16日放送のあらすじ&場面写真、相関図が公開
男色家ならではの繊細さと哀愁と色気
平賀源内(安田顕)が登場したのは、「べらぼう」の第2話『吉原細見「嗚呼御江戸」』です。そのとき名乗った名前は、貧家銭内(ひんかぜにない)でした。
源内先生らしい、ふざけた名前ですね。史実でも、実に多くの名前を使い分けていた源内。この頃は、まだ生活は困窮していて、ボロボロの着物を着ていました。
蔦重は、「源内を知っている」という銭内に紹介してもらいたいと頼みます。源内に自分の作る『吉原再見』の序文を書いてもらうためでした。
蔦重は、銭内が源内を紹介してもらうため吉原でもてなしますが、ひょんなことから銭内が源内だと判明し驚きます。そんな源内を花の井(小芝風花)が相手をするのですが、このとき、源内が“花の井と蔦重との関係”を尋ねたことがありましたね。
「重三が誰かに惚れるなんてござんすのかねえ。どの子も可愛いや、誰にも惚れぬ。あれはそういう男でありんすよ」
と答えた花の井。繊細で人の心に機微に鋭かった源内は、花の井の表情で、彼女が胸に秘めている蔦重への恋心を察しました。
史実では、破天荒、自信家、山師のイメージがある反面、幅広い才能や構成力で多くの人を惹きつけるひとたらしな面もあったと伝わります。
「べらぼう」では史実通りのキャラクターに、プラス、純粋で生真面目な部分や繊細かつセンシティブな面がプラスされていました。
花の井が披露する舞を眺めつつ、亡くなった恋人の役者・瀬川菊之丞(三代目・花柳寿楽)の姿を重ね懐かしむ源内。その目にみるみるうちに涙が浮かぶ場面は、多くの視聴者の胸を震わせた名シーンとして記憶に新しいところです。
「哀しく切ない色気を漂わせる、繊細な魅力を持つ平賀源内」でした。森下佳子脚本と安田顕さんという、うまい役者さんならではだったと思います。
源内といえば紫地に白のクモ柄「流水紋様」の羽織
源内の「洒落者」らしい華やかで斬新な衣装も印象的でした。衣装デザインを担当した伊藤佐智子さんによると、「エキゾチックな柄の帯、変化に富んだ生地で作った着物や羽織など」を選択。“チャーミングで好奇心旺盛の源内なら好んだであろう衣装”を考えたとか。
史実では、源内が考案した“金唐革紙製”。それを使った巾着や紙ばさみは、伊藤さんが私物を提供して制作したそうです。
さらに、印象的だったのは、紫ベースに白のクモ柄の羽織「流水紋様」の羽織と蜘蛛の巣柄の着物です。源内がこの世をさり、さらに田沼意次(渡辺謙)が亡くなった嵐の夜のこと。鳥山石燕(片岡鶴太郎)の家の庭に、この柄の羽織を着た何者かが登場して「源内が、親友の意次を迎えにきたのか!?」と大いに話題になりました。あれは結局、誰だったのでしょうか。
実は、源内は、はめられて人を斬った罪で捕まる直前、『死を呼ぶ手袋』という筋書きの本の執筆をしていました。鷹狩に出かけた徳川家基(奥智哉)の急死の原因が、“手袋に塗られた毒”であることを突き止めていたのです。
それをベースに「江戸で『死を呼ぶ手袋』の噂を利用し悪事を働く悪党どもが出没、それを”七ツ星の龍”と親友の”源内軒”がコンビを組んで立ち向かうという、痛快劇を書き残しました。
”七ツ星の龍”とは、田沼意次のこと。田沼家の家紋である七曜紋と、意次の幼名が龍助だったことからそう名付けたのでしょう。
源内は、意次と激しい言い争いとなり絶縁状態になっていました。(実は意次は政争に彼を巻き込むまいと遠ざけたのですが)
『死を呼ぶ手袋』の原稿は何者かに盗まれてしまいましたが、一枚残っていた遺稿を読み、源内想いを察して涙する意次。意次に深い友情を抱いていたのがわかった場面は印象に残りましたね。
「書をもって世を耕す」だから「耕書堂」
退場してもずっと存在感を放っていたのは、話題となった源内の名言も同様です。
蔦重が、版元名を源内に考えてもらったとき。『耕書堂』と書いた紙とともに
「書をもって世を耕し、この日の本をもっともっと豊かな国にすんだよ」
という、素敵なメッセージをくれました。この世の中をより豊かにする力が本にはある……と思った蔦重。これ以後、「書をもって世を耕す」はずっと蔦重の心に中に根付きいろいろな場面で指針となったのでした。
彼をずっと支えてきてくれた須原屋(里見浩太朗)の心にもずっと残っていたようです。41回『歌麿筆美人大首絵』で、須原屋は、
「知らねえってことはな、怖えことなんだよ。物事知らねえとな、知ってるやつにいいようにされちまうんだ。本屋っていうのはな、正しい世の中のためにいいことを知らせてやるっていう務めがあるんだよ。平賀源内風に言えばな、“書を以って世を耕す”。これなんだよ」
と蔦重に伝えます。このセリフは「源内先生の『耕書堂』の意味はずっと息づいている」と反響を呼びました。
自らの思いによってのみ、『我が心のママ』に生きる。
さらに、印象深いのは、
「自らの思いによってのみ、『我が心のママ』に生きる。我がままに生きることを自由に生きるっていうのさ」というセリフ。
お抱え藩士という身分を手放し幕臣にもならずに、思いのままに生きながらも貧乏な生き方を心配する蔦重に、心のうちを話す源内。
「自由に生きるってのはそういうもんでさ。わがままを通してんだから、きついのは仕方ねえや」
この言葉に“感動した”という声も多くみかけました。蔦重も、ドラマの中で困難にぶつかったり道に迷ったりした時、きつくても仕方ない『我が心のママ』に生きるほうを選択していたと感じます。
そんな源内が亡くなった時、救えなかったと土饅頭の前で手を合わせて涙する蔦重と須原屋。須原屋は「平賀源内を生き延びさせる。源内さんの本を出し続ける」と宣言。蔦重も、「書をもって世を耕す」という源内の志を引き継ぎ、改めて決意します。
蔦重がその後一気に本を出して販路拡大を狙いフル回転するのですが、義兄の次郎兵衛に「変わったね」と言われます。「耕書堂を日の本一の本屋にするしか道がねえんでさ。恩に報いるには」と、志を語る蔦重。この思いはずっと消えることなく持ち続けています。
また、ひょいっと現れそうな気がする源内先生
源内の墓は、吉原からほど近い台東区橋場2丁目にあります。墓の隣には無二の親友であった杉田玄白の言葉が刻まれた石碑が。
結びの「非常ノ人、非常ノ事ヲ好ミ、行ヒ是レ非常、何ゾ非常ニ死スルヤ」が、まさに「『我が心のママ』に生きる」人だったのでしょう。
べらぼうでは、非常にチャーミングかつ真面目で繊細な人物に描かれていた源内。語る言葉も魅力的だったので「源内生存説」を切望するファンも多いのでした。
ただの歴史上の人物以上の印象や感動を与えてくれた源内先生。またどこかでひょいっと現れそうな気がします。1年間続いた「べらぼう」の中でも、森下脚本と安田顕さんが作り出した源内先生は、「また会いたい」と思う魅力的な存在でした。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
