あの漫画と「ノルマントン号事件」は無関係!実は日本とイギリスの間で翻弄されていた悲劇の船長【前編】

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あの漫画と「ノルマントン号事件」は無関係!実は日本とイギリスの間で翻弄されていた悲劇の船長【前編】

ノルマントン号事件とは

明治時代の日本が積極的に欧化政策と外交交渉を進めているなか、そこに冷や水を浴びせるような形で起きたのがノルマントン号事件です。

この事件は、教科書では以下のような内容で紹介されるのが常ですね。

《イギリス船ノルマントン号が和歌山県沖で沈没し、日本人乗客全員が水死する事件が起こった。しかしイギリス領事裁判所は、イギリス人船長に軽い罰を与えただけであったため、不平等条約の改正を求める世論が高まった。》

そして、この事件を皮肉ったフランス人の風刺漫画家・ビゴーの漫画が掲載されているのがパターンです。

これは、溺れている日本人を救助せず、自分たちは救難ボートに乗り「助けてほしければ金を出せ」と、言っている悪徳船長と船員たち、という構図ですね。ちなみにこの船長はジョン・ウイリアム・ドレーク船長といいます。

教科書によく出る「ノルマントン号事件」の風刺画(Wikipediaより)

ノルマントン号事件は、日本人にはこのように漫画とワンセットで認知されていますが、実はいろいろと、教科書には書かれていない真相があります。今回は前編・後編に分けてそれをご紹介します。

日本人の死者が出た理由

そもそもノルマントン号は貨物船だったのですが、なぜ日本人が乗っていたのでしょうか。

答えは、この日本人たちは横浜港で働いていた「船荷人夫」たちでした。そして次の仕事が大阪で荷物を降ろすことだったので、ドレーク船長にノルマントン号に乗せてもらうことになったのです。

ですから、彼らは乗客ではなく、「乗組員」と同じ扱いでした。

高知県須崎市南古市町にある「ノルマントン号事件の碑」(Wikipediaより)

また事故時の状況ですが、実際にはドレーク船長は日本人たちに救命ボートに乗るように促しましたが、船員たちの証言によると英語がなかなか通じず、そして彼らは下船することを拒否した、とされています。

実際、船が座礁した場合、状況によっては船に残ったほうがよい場合もあるのです。

船荷人夫、すなわち船乗りだった日本人たちがそう判断したのも間違いとはいえません。状況によってはボートで逃げたほうが死んでいた可能性もありますし、現にボートで脱出した乗組員にも死者が出ています。

こうした難しい状況の中、ドレーク船長たちは辛うじて生還できたという状況だったのです。

【後編】では、こうした事件の経緯を踏まえて行われた裁判の内容について見ていきましょう。

また、例のビゴーによって描かれた風刺画の「真相」についても説明します。

そうすることで、ドレーク船長は日本人を見捨てた悪徳船長どころか、実際には日本と欧米諸国の思惑に板挟みにされた被害者だったことが分かるでしょう。

参考資料:
浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia

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