朝ドラ「ばけばけ」後に“八雲”の名を授ける古武士!松野勘右衛門(小日向文世)のモデル・稲垣万右衛門の生涯
朝ドラ「ばけばけ」には、数多くの魅力的なキャラクターが登場します。
ヒロイン・松野トキの祖父・松野勘右衛門もその一人です。勘右衛門のモデルは、小泉セツの養祖父・稲垣万右衛門という実在した人物でした。
幕末、万右衛門は松江藩の上級武士として活躍。藩のために命懸けとなることもしばしばだったようです。前半生を江戸時代に生きた万右衛門は、明治維新後にも武士としての生き方を追い続けます。
稲垣万右衛門の生涯を見ていきましょう。
松野勘右衛門(小日向文世)。稲垣万右衛門をモデルとしている。公式Xより。
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のちに「六代目万右衛門」と称していることから、父や祖父も万右衛門を称していたことようです。
家柄は松江藩の並士という上級武士で、禄は100石を得ていました。松江の内中原町に171坪の土地を得て、広い屋敷も持っていたようです。
上級武士でありながら、万右衛門は特に松江藩の中で武芸の腕を見込まれていました。
幕末には、万右衛門は若殿(藩主の嫡男)付の「御子様御番方」を拝命。護衛として信任を得ていました。
この事実は、老齢ながら剣術に精励するドラマ「ばけばけ」の勘右衛門も受け継いでいますね。
万右衛門はさらに隠岐警備や大坂守衛、二条城・京都御所の警護を歴任。それぞれ藩として重要な任務でした。
松江藩領の隠岐国は、諸外国に対する海防任務と考えられ、国内要所の警備は討幕派や治安悪化への備えと思われます。
万右衛門は、文武と人柄に優れたエリートとして藩主からも信頼されていた。
小泉家との縁とセツの「養祖父」慶応4(1868)年、万右衛門に大きな出会いが訪れます。
松江藩士・小泉家(番頭・300石)の小泉弥右衛門湊の次女として小泉セツが誕生。セツは生後7日で、稲垣金十郎(万右衛門の嫡男)の養女となりました。
小泉家と稲垣家は縁戚で、稲垣家は100石の並士格です。身分的には小泉家が上位であったため、万右衛門はセツを「オジョ(お嬢)」と呼んで大切に育てていきました。
明治になると、稲垣家の暮らしに変化が訪れます。
明治8(1875)年、万右衛門の嫡男・金十郎が秩禄奉還を決断。手にした金で商売を始めますが詐欺に遭って失敗してしまいました。
加えて訴訟費用がかさみ、稲垣家の暮らしは困窮。先祖代々の家屋敷を離れ、転居を余儀なくされます。
孫・セツは小学校で優秀な成績を収めていたものの、上級への進学を断念。11歳で機織工場で働くこととなりました。
その後、セツは前田為ニを婿に迎えて結婚。為ニは働き者で、セツと仲睦まじく暮らしていたといいます。
しかしここで波乱が起きました。
万右衛門と金十郎は、為ニの出身が旧足軽だということを気にしており、何かとつらく当たったといいます。
耐えきれなくなった為二は、大阪へと出奔。セツと為ニの結婚生活はわずか一年ほどで幕を閉じてしまいました。
朝ドラ「ばけばけ」実際も追い詰められ出奔…山根銀次郎(寛一郎)のモデル・前田為ニの失踪とその後これによって、セツは小泉家へと復籍。万右衛門にとっては愛しい孫の幸せを邪魔した上、稲垣家の跡取りも失う形になってしまいました。
名づけの人―「八雲」という帰化名の由来
しかし万右衛門の稲垣家と、セツが完全に縁が切れたわけではありませんでした。
明治23(1890)年、松江に英語講師としてラフカディオ・ハーンが来日。その女中となったのがセツでした。
やがて惹かれあった2人は同棲。そのまま結婚し、やがてハーンは日本国籍を取得して帰化します。
その際に称したのが「小泉八雲」でした。
この「八雲」という名前は、万右衛門が『古事記』の歌にある「八雲立つ」にちなんで命名したとされます。
幕末を経験し、隠岐国を守る立場にあった万右衛門です。当然ながら外国人に対する敵愾心は人一倍であったでしょう。
しかしそれでも、かつてセツの結婚生活を破綻へと追い込んだ一端が自分にあるのではないか、と自問したのではないでしょうか。
そして選んだのが、孫娘であるセツの新たな幸せであった。そんな気さえ感じさせる美美劇です。
熊本への移住と晩年
英語講師であるハーンは、やがて熊本への転勤が決定。セツや稲垣家の面々も一緒に熊本に移ります。
万右衛門も熊本へ移住しますが、やがて松江の中原町の旧宅へ帰還。明治31(1898)年1月23日に自宅で世を去りました。享年80と伝わります。
のちに稲垣家では、八雲とセツの次男・巌が養子入りして家督を相続。稲垣家の系譜はその後も続きました。
稲垣万右衛門の生涯は、幕末の松江藩武士としての誇りと、維新後に直面した現実のはざまで揺れ動きます。
その一方で、小泉セツを慈しみ、小泉八雲に名を与え、さらには熊本移住にも同行したという家族の時間がありました。
大きな政治史の陰で、地域と家をつなぐ媒介者としての姿が静かに見えてきます。
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