朝ドラ「ばけばけ」史実でトキとの関係は?松江中の生徒 小谷春夫のモデル、小泉八雲の愛弟子・大谷正信の生涯

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朝ドラ「ばけばけ」史実でトキとの関係は?松江中の生徒 小谷春夫のモデル、小泉八雲の愛弟子・大谷正信の生涯

朝ドラ「ばけばけ」には、多くの魅力的な人物が登場します。

松江中学に通う生徒・小谷春夫もその1人。彼のモデルとなったのが、のちに英文学者となる大谷正信でした。

下川恭平さんが演じる小谷春夫(ばけばけ 公式サイトより)

正信は松江尋常中学校でラフカディオ・ハーンと出会います。そこで出会ったのが世界に羽ばたくための生きた英語でした。

当時の最先端教育に触れた政信でしたが、やがて日本古来の伝統である俳諧にも造詣を深めます。

史実の正信はどのような人生を歩み、どのように生きたのでしょうか。

大谷正信の生涯について見ていきましょう。

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ハーンの愛弟子「繞石」が架けた、英文学と俳句の橋

明治8(1875)年、島根県松江市の末次本町で、大谷正信は醸造業・大谷善之助の長男として生まれました。

生家の大谷家は、藩政時代から続く醸造業でした。かなり裕福であったらしく、島根県の高官・大河内重敬が寄寓していた時期もあったようです。

長じて正信は島根県尋常中学校に入学。明治23(1890)年に来日したラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)から英語を学ぶこととなります。

ドラマ「ばけばけ」では、モデルとなった小谷春夫がヒロイン・トキやレフカダヘブン(小泉八雲がモデル)と親しく交流する様子が描かれましたね。

正信自身も学校だけでなくプライベートでもハーンと親しく交流。最も信任の厚い生徒の一人であったと伝わります。ヒロイン・トキのモデルで、のちに小泉八雲の妻となる小泉セツとも交流があったことが想像できます。

劇中では小谷春夫がトキに想いを寄せている描写がありますが、実際にセツに対しそのような想いがあったかは不明です。

正信の英作文は、ハーンによって徹底的に添削が施され、のちの正信の英語力財産となりました。

小泉八雲。彼との出会いが英文学者として歩むきっかけとなった。

英語講義において、正信は「英作文の賞を二度受けた」と言及されています。お気に入りの学生というより、実際には弟子的存在になっていくのです。

ハーンは自身の執筆作業でも、正信を重用していました。著作資料の収集を依頼された正信は、その報酬で学資を賄ったといいます。

明治25(1892)年、正信は中学を卒業して京都の第三高等学校へ入学。明治27(1894)年には学制改革のために仙台の第二高等学校に転校します。

この間、正信には自分の人生を決定づける出会いがありました。

それぞれの高等学校には、同級生にのちに俳人となる河東碧梧桐と高浜虚子がいたのです。

彼らとの交流は、正信に俳諧への興味を掻き立てるのに十分なものでした。

明治29(1896)年、正信は東京帝国大学英文学科へ入学。同大には、ハーン(当時は小泉八雲)も教授として赴任していました。

正岡子規。正信が彼に師事し、近代的徘徊が松江にももたらされた。

同大で正信は正岡子規に師事。翌明治30(1897)年に松江に帰郷すると、子規派の句会「碧雲会」を創設するなど傾倒を深めます。

近代的な英文学者と俳人としての歩み

明治32(1899)年7月、正信は東京帝国大学を卒業。進路として選んだのは、教師としての道でした。

正信は私立郁文館哲学館(のちの東洋大学)、真宗大学洲本中学校などで教壇に立って後進を育成。明治41(1908)年に金沢の第四高等学校教授に就任します。

この頃の正信は、英文学だけでなく俳句において生徒たちに多大な影響を与えました。

金沢四高時代には室生犀星の青春期に俳句指導を行い、北陸の文学青年たちに確かな基礎を与えています。

しかし正信は、教職という立場で満足していませんでした。

明治42(1909)年か、正信は文部省留学生としてロンドン大学に留学。2年間の留学期間で英文学・英語音声学の知を深めました。

大正13(1924)年、広島高等学校教授へ転任。この頃から師であった小泉八雲の伝記を書く作業を始めています。

正信は翻訳家としては、師小泉八雲の作品に深く関わっていました。のちに正信は第一書房から『小泉八雲全集』で複数巻を担当しています。

小泉八雲と交流し、言葉を交えて深く関わった正信。彼だからこそ成し遂げることができた業績でした。

しかし、そんな日々にもやがて終わりが訪れます。

昭和8(1933)年11月17日、正信は広島で没しました。享年58。遺骨は故郷・松江の恩敬寺に眠っています。俳人としての句碑は、生家近くの松江市東茶町にも建てられ、故郷の景とともに記憶は今もそこにあります。

大谷正信は、英文学者として理にかなった文体を求め、俳人として情の温度を守りました。

八雲から受けた「読む力・書く力の鍛錬」は、翻訳と句作の双方で生涯の軸となります。師と友、弟子と後進――人の縁に導かれながら、彼は「ことば」で世界をつなぐ役割を、静かに、誠実に果たしたのだと思います。松江からロンドン、そして広島へ。時代の風を受けながらも、句と文に宿る淡い光は、今なお確かに読者の手元で息づいています。

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