縄文時代の貝塚は単なる“ゴミ捨て場”ではない!350体もの人骨が発掘された事実に見る縄文人の死生観
日本列島には約2700以上の縄文時代の貝塚があるといわれ、そのうちの半数は関東地方に集中しています。
最も有名な貝塚というと、明治の初期にアメリカ人の学者エドワード・S・モースが発見した東京の大森貝塚ではないでしょうか。
彼がそこで発掘した縄文土器を見て「cord marked pottery」と叫んだことから、「縄文土器」そして「縄文時代」という名称が使われるようになりました。
このように貝塚には貝殻だけでなく縄文土器が埋まっていることは知られていますが、実はそれ以外にも様々なモノが見つかり、それらは縄文文化を探る手がかりとなっています。
ところで、なぜ貝塚にはモノが残っているのでしょうか?日本の土壌は酸性のため、通常は動物の骨などの有機物は地中の微生物によって分解されてしまいます。
ところが貝殻に含まれる炭酸カルシウムは土壌を中和する働きを持っているため、通常では残りにくいモノが保存されていることがあるのです。
「ゴミ捨て場」としての貝塚から分かることは?貝塚に最も多く残されているのは食べ物の残りかすです。そのため縄文人の「ごみ捨て場」と表現されることが多いようです。
そこに残された貝殻や魚・動物の骨からは、その種類やどの部位を食べたかなど、当時の食生活を知ることができます。
また 貝の成長線を分析することで、人々が貝を採取していた季節がわかり、縄文人の一年を通しての活動を知る手がかりとなります。
さらに、使い終わった土器や石器などの生活道具も貝塚から見つかります。それらからは狩猟や漁労の方法や調理法などの日常生活を伺うことができます。
貝塚から見つかる墓や骨から見えてくること貝塚からは祈りの道具と思われる土器や土偶、そして墓や人骨、副葬品などが見つかることがあります。
例えば北海道の「高砂貝塚」では、貝塚の下から多数の墓が見つかり、数十体の人骨が発掘されました。
人骨は頭を同じ向きにし、ヒスイなどの玉類や黒曜石の石鏃等の副葬品を伴ったものや、ベンガラ(赤色顔料)が撒かれていたものなどがありました。
弥生時代〜古墳時代の遺物が赤く塗られていたのは何故か?〜「赤色」をめぐる古代人の精神性また渥美半島の「吉胡貝塚」では、350体以上の人骨と、人と同じように丁寧に埋葬された18頭のイヌの骨も見つかっています。
一説には、縄文人は「不要になったモノ・役目を終えたモノをあの世に返す」という世界観を持っていたと言われています。
それは単なるモノにとどまらず、動植物や人間までもがその対象であったと考えられるのかもしれません。
そしてそれらを埋葬する前には、様々な儀礼を執りおこなっていたと想像されています。これらは縄文時代の葬送に関わる文化を今に伝える資料となっています。
貝塚は宝の山貝塚の形成には、地球規模の温暖化によって内陸深くまで海水が流れこんだ「縄文海進」が大きく影響しています。
関東では現在より50㎞以上も海岸線が内陸にあり、栃木市付近でも貝塚が確認されています。
それらには今は見ることの出来ない景色、そしてそこで暮らしていた縄文人の生活や精神文化を知る手がかりが眠っているのです。
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