ウグイスは茶色っぽいのになぜ“うぐいす餅”は緑色なの?うぐいす餅の誕生、きっかけは「豊臣兄弟!」
うぐいす餅の実態
春の訪れを告げる和菓子として、多くの人々に親しまれているうぐいす餅ですが、その名前と実物の色合いとの間には違いがあります。
実際の鶯(うぐいす)の体色は、灰色がかった茶色、いわゆる「鶯茶(うぐいすちゃ)」と呼ばれる地味な色彩をしています。
これに対し、和菓子屋の店頭に並ぶうぐいす餅や、あるいは「うぐいす色」と呼ばれる色見本は、鮮やかな黄緑色をしているのが一般的です。
この色彩の食い違いについては、古来より人々が緑色のメジロ(目白)という鳥と鶯を混同していたためであるという説があります。
しかし、歴史的背景や菓子の変遷を紐解くことで、単なる誤解ではない別の側面が見えてきます。
まず、うぐいす餅という菓子の基本的な定義から。
一般的にはうぐいす餅は、あんを求肥(ぎゅうひ)で包み、楕円形に整えて左右の端を少し摘んで尖らせ、青大豆から作られたきな粉である「うぐいす粉」をまぶしたものを指します。
この形状はまさしく鳥の形で、手のひらに収まるサイズ感は、春告げ鳥の愛らしさを表現した造形と言えるでしょう。
うぐいす粉は通常のきな粉よりも甘みが強く、独特の香ばしさがあります。
ルーツは「豊臣兄弟」!?さて、この菓子のルーツは戦国時代から安土桃山時代、天正八年(一五八〇年)頃まで遡ることができます。
当時の大和郡山城主であった豊臣秀長が、兄である豊臣秀吉を招いた茶会をもてなすために、御用菓子職人であった菊屋治兵衛(きくやじへえ)に銘菓を作らせたのが始まりとされています。
献上された餅を口にした秀吉はその風味を大いに気に入り、その愛らしい形状と季節感から「うぐいす餅」と命名したと伝えられています。
奈良県大和郡山市の老舗では、現在でもこの由緒ある菓子を「御城之口餅(おしろのくちもち)」という名で販売しており、四百年以上の歴史を今に伝えています。
ここで注目すべきは、秀吉が命名した当初のうぐいす餅の色合いです。
当時の製法では、現在主流となっている青大豆のきな粉ではなく、一般的な黄大豆のきな粉が使用されていたと考えられます。
つまり、秀吉の目の前に出されたうぐいす餅は、現代のような鮮やかな黄緑色ではなく、きな粉本来の「黄土色」あるいは「茶褐色」をしていたのです。
この色は、実際の鶯の体色である「鶯茶」と極めて近い色合いであり、秀吉がその餅を見て鶯を連想し命名したことに、何ら不自然な点はありません。
すなわち、「昔の人がメジロと鶯の色を間違えて名付けた」という俗説は、当時の菓子の実態を無視した後世の推測に過ぎない可能性が高いと言えます。
なぜ緑色になったかでは、なぜ現代のうぐいす餅は鮮やかな緑色へと変貌を遂げたのでしょうか。
これには、原材料の変化と日本人の色彩感覚の変化が深く関わっています。
時代が下るにつれ、和菓子の世界では色彩による季節の表現がより重視されるようになりました。
そこで、春の息吹や若草の萌え出るイメージを強調するために、あえて青大豆を用いた「うぐいす粉(青きな粉)」が使用されるようになりました。
青大豆は成熟しても種皮が緑色のままである品種であり、これを粉末にすることで美しい若草色が生まれます。
この鮮やかな緑色が「春の菓子」としての視覚的な魅力を高め、また抹茶を加えるなどの工夫も相まって、次第に「うぐいす餅=緑色」という認識が定着していったのでしょう。
実際に、現在でも発祥の地である奈良県の老舗などでは、伝統を守り、あえて青きな粉ではなく通常の黄色いきな粉を使用したうぐいす餅が作られています。
また、栄養学的な観点から青大豆の特徴を見てみると、黄大豆に比べて油分が少なく糖分が多いという特性があり、これが濃厚な甘みとあっさりとした後味に繋がっています。
現代においては、見た目の美しさはもちろんのこと、低脂肪でヘルシーな素材としての側面も評価されているのです。
参考資料
和菓子の魅力 日本あんこ協会 和菓子の季節.com日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan