『べらぼう』本は総合芸術!壮大な夢噺のラスト飾る“屁”の大合唱!爆笑と号泣の賑やかな最期【後編】
“お江戸八百八町”を舞台に繰り広げられた、森下佳子さん脚本の面白い黄表紙『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』が最後のページを迎えました。
【後編】では、蔦重がチーム蔦重のそれぞれにバトンを委ねた現代まで伝わるクリエイティブのアイデア、妻・てい(橋本愛)と確かめ合った“本”の意義。とびきり戯けた蔦重の最期を振り返ってみます。
【前編】の記事はこちら↓
『べらぼう』最終回、1年間の壮大な黄表紙“蔦重栄華乃夢噺”が完結。チーム蔦重の絆と愛を考察【前編】
文化文政以降の「長編の読み物時代」到来の予感
旅先で出会った読者に「黄表紙は話が短い。もっと長い話が読みたい」という意見を聞いた蔦重。江戸時代の後期、文化文政以降の長編の読み物が好まれるようになる時代の訪れを感じます。
江戸に戻り、滝沢瑣吉/曲亭馬琴(津田健次郎)と十返舎一九(井上芳雄)のそれぞれに、今後の物作りの方向性についてアイデアを出しました。馬琴には、あっという間に終わってしまう黄表紙では出せない“面白い芝居みたいな長編の作品”を、一九には“江戸に縛られない話”を依頼します。
ドラマの話ではありますが、これが、現代まで伝わる馬琴の大作『南総里見八犬伝』(98巻106冊)と、 弥次喜多道中の滑稽本『道中膝栗毛』(正編と続編で20編)の誕生のきっかけとなった……と思うと感慨深いですね。
“脚気”が発症するも病で一儲けを企む蔦重
蔦屋耕書堂は、馬琴の読本『高尾千字文』(5巻5冊)や、知識層が待ちかねていた本居宣長の本がバカ売れ。
とうとう“硬軟併せた書物を取り合わせた本屋”として不動の地位を確立したのでした。店内に貼られている書名を見ると、行ってみたいなと思う本屋でしたね。
そんなある日、立ち上がろうとした蔦重は膝から崩れ落ちます。いよいよ「脚気」が発症したのでした。
当時、“江戸患い”と呼ばれた脚気。末梢神経や中枢神経が冒され、足元がおぼつかなくなるほか、重症化すると心不全を起こして死に至る病でした。
精米することで、ビタミンB1を含む胚芽部分が取り除かれる白米を大量に食べ、野菜のおかずなどはあまり食べなかった江戸っ子の間で流行った病でした。そういえば、耕書堂の食事は、山のように盛られた白米と梅干しという食事でしたね。
「江戸を離れて療養すれば快方に向かうことも」と心配するていの提案に乗り気ではない蔦重。
「一儲けできると思うんだよなあ。脚気で」
「…は?」
「余命数ヶ月の本屋」を売り物にすれば、客は「じゃあ、一つ買っておいてやるか」となるので、本が売れるだろうと言います。自らの命をかけて戯ける蔦重。
蔦重の最高の相棒だったてい。NHK大河「べらぼう」公式サイトより
チーム各人にそれぞれ個性を生かした仕事を依頼「食事療法しながら、店で本を作る」と言い張る蔦重は、チーム蔦重を呼び病のことを伝えます。最初は「またまた〜」なノリだった皆も、自力で立つこともできない蔦重の様子に、事の重大さを感じ取り深刻な表情になっていきます。
息をするのも苦しそうな蔦重は「ひとつ希望がある」と打ち明けます。
「死んだ後に『あいつは本を作り続けた。死の間際まで書をもって世を耕し続けた』と伝えたい。俺のわがままを聞いて欲しい」と頭を下げます。
最初に馬琴が立ち上がると「俺は描くぞ!俺は描くぞ!待っておれ!」と涙ながらに宣言しつつドタドタと帰っていきます。相変わらず、騒がしい馬琴ですが、涙を堪えて頑張る!というストレートな思いがぐっと来る場面でした。
「どんな本が作りたいんだ」と尋ねるチーム蔦重。「なんだってやる」。こんなセリフを長年一緒に仕事をし続けてきた仲間に言ってもらえるとは。まさにプロデューサー・本屋冥利に尽きるのではないでしょうか。
最後の頼みを伝える蔦重。NHK大河「べらぼう」公式サイトより
ここから、一人一人に蔦重の遺言といえるバトンが渡されることになりました。
北尾政演/山東京伝(古川雄大)には「諸国めぐりの話」を。
「人の気性によって国が分かれていくような話を。愚直な人の国、頑固ものの国、「人の性分を書くときの山東京伝は古今無双だからよ。」。嬉しそうな京伝でした。感性が鋭く器用な分、ある程度のものは簡単に作れても、通をうならせるものを作るのが難しかった京伝を導いたのは蔦重でした。
2つの名を持つ江戸のベストセラー作家、北尾政演/山東京伝 NHK大河「べらぼう」公式サイトより
北尾重政(橋本 淳)には「先生には、黄表紙すべての絵付けを」と依頼。
「すべてかい?」と呆れる重政ですが、すぐに「まあ、始まりもこんなだったな!」と言います。美人画の名手・重政に、まだ駆け出しの蔦重が120人の女郎の絵をと依頼した『一目千本』の頃を思い出して笑います。
「重政先生には甘えちまうんですよ。」史実でも、蔦重が初めて組み、生涯に渡り支え続けてくれた師匠でした。
初めて仕事をし、生涯長い付き合いだった師匠・北尾重政。NHK大河「べらぼう」公式サイトより
太田南畝(桐谷健太)には「とびきりめでてえ『狂歌集』をお願いしたい。」と頼みます。「日の本中から狂歌を集めて、めでてえ狂歌集を作る。国をあげてめでてえ正月を呼び込む。」という案に「脚気がいたたまれなくなって逃げ出すようなな!」どんな時でも明るい南畝です。
最後までムードメーカーだった太田南畝。NHK大河「べらぼう」公式サイトより
勝川春朗(葛飾北斎/くっきー!)には、狂歌集の景色の絵を依頼。「音が聞こえるような絵にしたい」「春郎は、音を頼りに描いていくといいと思うぜ。」その絵師の個性を見抜き本人の才能が光るように導く、さすが名プロデューサーだなと改めて感じました。
のちの葛飾北斎となる勝川春朗。NHK大河「べらぼう」公式サイトより
朋誠堂喜三二(尾美としのり)には蔦重が書く黄表紙の手伝いを。こんなこと前にもありましたね。「恩が恩呼ぶ、そんな話がいい」という言葉を残した瀬川(小柴風花)の気持ちに応えるべく蔦重自体が筆をとった『伊達模様見立蓬莱』。
相変わらず、「あんだけ戯作出しても上手くなんないやつがいるんだな」と、頭から全部書き直しをさせられます。
さまざまなことを教えてくれた朋誠堂喜三二。NHK大河「べらぼう」公式サイトより
こんなひとときは、病のことを忘れられたでしょう。そして、蔦重の思いを受け止めた、さまざまな書ができあがったのでした。
「この続きが見てえ」「なら死ぬな」さらに、歌麿が『山姥と金太郎』の絵を持ってやってきます。「山姥も歌麿が書けばこうなるのか」と感心する蔦重。
「新しい女絵だ。次は、話の中の女を生身のように描いてみる」と歌麿。「おっかさんと俺を描いたんだ。“おっかさんとこうしたかった”というのを絵に託してみたい。」と言います。
「でぇじねえのか?」と心配する蔦重。虐待母親との過去を引きずり苦しんでいた歌麿を心配した兄の言葉です。けれど、屈託のない歌麿の笑顔にほっとします。
この先見たかねえか?
この二人が、この先どうなっていくのか。
ただの幸せな母子では終わらないかもしれません。
見てえ。
なら死ぬな。
合点承知。
歌麿ならではの、励まし方でした。
チーム蔦重が力を尽くした本が耕書堂の店頭に並びます。呼び込みをするみの吉(中川 翼)も、すっかり二代目にふさわしい貫禄が身についてます。
かたや、蔦重は激痩せしたいかにも重病人の様子ながら、ていと一緒に本を売り捌きます。「病気を餌に本を売りまくり」のナレーションには笑ってしまいました。
死にそうな姿で本を売る自分を客にアピールするのは蔦重らしい戯け。もちろん、残されるていのため、店の存続のため、たくさん稼ぎたかったのでしょう。
ある夜、拍子木の音とともに巫女姿の九郎助稲荷(綾瀬はるか)が蔦重の前に登場。
「今日の昼ここのつ、午の刻に迎えにまいります」「合図は拍子木です」と伝えます。
これは蔦重の見た夢という設定。
蔦重をあの世へ迎えに来た九郎助稲荷。NHK大河「べらぼう」公式サイトより
「日の本一のべらぼうにございました。」その夢のお告げをていに伝え、店のスタッフが皆に伝えにいくのですが。
「誰も来ねえなぁ…」「もう、死ぬとは思われておらぬかもしれませんね」相変わらず、漫才のようなやりとりに笑ってしまいました。
蔦重亡き後のことを話し合う二人。さまざまな手配を滞りなく書面にまとめているてい。お寺にも通夜のことを知らせに出し、戒名までしっかり準備、墓碑銘は「狂歌師・宿屋飯盛(又吉直樹)にお願いする」と伝えます。(「お礼も包めますし」と、配慮するところがていらしい気配り)
「万が一のことをずっと考えておりました。こんなものクズ屋に出せるのが一番と」。
心の中では直前に迫る夫との永遠の別れに胸を痛め、事務的な作業で悲しみを紛らわしていたのでしょう。
クズ屋という言葉で、昔のていの言葉を思い出す蔦重。
「クズ屋に出せば本もただのクズ。読む人がいれば、本も本望、本屋も本懐です。」
蔦重は、この言葉を聞きていと一緒になりたいと思ったのでした。多くの視聴者がこの時のシーンを覚えているでしょう。
そして、「結婚する前に『あなたは陶朱公のように生きればいい』と言った言葉を覚えているか?」と聞き、「そんなふうに生きられただろうか」と独り呟きます。
「陶朱公のように、町を栄えさせ、築いた富を分け与えるとは行かなかったな」と自嘲する蔦重。
「江戸はもちろん、名も知らぬ町まで、見知らぬ人たちが黄表紙を手にとり、狂歌を楽しんでいると聞きました。それは旦那様が築いて分け与えた富ではないでしょうか。
その富は腹を満たすことはできないけれど、心を満たすことができる。心が満たされれば、人は優しくなりましょう。目の前が明るくなりましょう。
次は己が誰かの心を満たそうとするかもしれません。さような笑いという富を、旦那様は日の本中にふるまったのではございませんでしょうか。
雨の日も風邪の日も戯けきられたこと、日の本いちのべらぼうにございました。」
そうか、そうか…と頷く蔦重。
このていの言葉は、すべての本作りに携わる人々(自分もなのですが)の胸を打つ言葉だったと思います。
「屁」の大合唱で蔦重を呼び戻す
ていの話に満足そうに頷きつつ、心臓を抑え意識を失う蔦重。「旦那様!」のていの声に皆がなだれ込んできました。部屋の外で控えていたのでしょう。
午の刻の鐘の音とともに、「みなさま、ありがたやまのかんがら…」の言葉とともに息を引き取る蔦重。
蔦重!と皆が口々に名前を呼びます。義理の親である駿河屋(高橋克実)、女将のふじ(飯島直子)も「重三郎!」「重三」と呼びつつ駆けつけます。
「親が別れもいわぬなど…呼び戻すぞ」と音頭を取るのはやはり太田南畝でした。
「へ!へ!へ!」チーム蔦重の「屁踊り」が始まります。
皆、一心に蔦重を見つめ「戻ってこい!」という思いを込めながらの「へ」の大合唱。
ていも、次郎兵衞兄さん(中村蒼)に、蔦重の体を預け「へ」に加わります。大声でへ!へ!と、部屋が揺るぎそうなほどの大合唱が続きました。
すると、こと切れたと思った蔦重がふと目を開けました。
「拍子木聞こえねえんだけど」
…一同「へ?」
カンカンという拍子木の音で終わり。
さすが「べらぼう」。見事に、全員がたわけた最期でした。
長い長い“夢噺”を ありがた山の鳶がらす
「べらぼう」は、“本”が、戯作者、絵師、彫り師、摺師、製本、本屋と多くの人々が携わって完成する総合芸術だということ。エンタメが持つ、人を元気にする力を教えてくれました。
そして蔦屋重三郎という稀有な発想力、企画力、行動力を持ち、人たらしの魅力を持つ人物や、さまざまな人物の魅力で楽しませてくれました。
ただ「史実」を辿るだけではなく、その史実に肉付けして血を通わせ、毎回「そう来たか!」と最期まで楽しませてくれた夢噺。
1年間にわたる、長い長い“夢噺”をありがた山の鳶がらすでした。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

