2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──豊臣秀吉・秀長の主君・織田信長の安土城、登城レポート【後編】

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2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──豊臣秀吉・秀長の主君・織田信長の安土城、登城レポート【後編】

2026年1月4日(土)、NHK大河ドラマは新たな幕を開きます。豊臣秀吉とその弟・秀長の生涯を軸に、彼らを取り巻く人々の波乱の人生と魅力を描く『豊臣兄弟!』がいよいよスタートします。

放送開始に先立ち、物語の舞台となる歴史の息づく地をめぐるプロローグ企画をお届けします。

本稿では、豊臣兄弟の主君・織田信長が天下布武の象徴として築いた伝説の城・安土城を紹介し、その魅力に迫ります。[後編]では、安土城に登城した体験をレポート風にお届けしましょう。

【前編】の記事はこちら↓

2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──豊臣秀吉・秀長の主君・織田信長が築いた安土城とは?【前編】

安土登城のアプローチは大手門跡から

安土城の最寄り駅、安土駅へは大坂駅から新快速と普通を併用して1時間15分ほど(京都からは40分)で到着します。そこから安土城跡まではのんびり歩いて25分ほどです。駅前にはレンタサイクルがあるので、安土城のほかに安土をめぐるようでしたら自転車の利用をおすすめします。また、クルマを利用する場合は城跡の入り口である大手門前に大きな無料駐車場があるのでそこを利用するのが便利です。

安土城大手門跡登山口(撮影:高野晃彰)

現在、特別史跡に認定される安土城跡全域は、織田信長の菩提寺である宗教法人摠見寺の所有地で、一般社団法人安土山保勝会により維持運営されており、入城料・拝観料として700円が必要となります。

さて、いよいよ安土城への登城を開始しましょう。城内をめぐる基本ルートは、山麓の大手門跡から大手道の石段を登っていくコースです。一直線に伸びる大手道はかなりの急勾配ですので、スニーカーなど滑りにくく歩きやすい靴で足元をしっかり整えてから臨むことをおすすめします。

また、足に自信のない方には歩行を助けてくれる杖の貸し出しもありますので、遠慮なく利用するとよいでしょう。

大手門を守る秀吉と利家の屋敷跡

大手門跡から大手道を見上げると、まず目に飛び込んでくるのが、道の左右にそびえる石垣です。登っていくにつれ、その石垣の内側に広がる敷地が、いく段にもわたって削平されていることが分かります。

一直線に伸びる大手道の両側に家臣屋敷が並ぶ(撮影:高野晃彰)

向かって右側が伝前田利家左側が伝羽柴秀吉の屋敷跡とされており、屋敷跡の門跡にはそれぞれ石製のレリーフが設置され、復元図が刻まれています。大手門をくぐるとすぐに秀吉と利家の屋敷があり、大手門の守りを固めていたという伝承は興味深いものですが、あくまで伝承であり確証があるわけではありません。

ただし、この左右に配置された屋敷はいずれも大きな楼門を備え、大手門方面に向けて弓や鉄砲を放つための狭間を穿った塀が設けられていたと推測されています。

豊臣秀吉屋敷跡復元図(現地説明版)

こうして大手道をおよそ180メートル登ると、突き当たりに石垣が現れ、直線的に続く大手道はここで終わります。ここから先は本丸に近づくにつれ、七曲りと呼ばれる屈曲した道となり、その左側にはかなりの高さを誇る石垣が築かれています。

城内中心部への入り口である黒金門

大手道を上り切ると、本丸など主要部へ通じる入口である黒金門跡に到達します。その手前には、伝織田信澄屋敷跡と伝森蘭丸(森成利)屋敷跡が並んでいます。大手門を羽柴秀吉と前田利家が守ったとされるなら、黒金門を守ったのは信澄と蘭丸ということになります。

信長の寵愛を受けた森蘭丸(Wikipedia)

ご存じのように、蘭丸は信長の寵愛を受けた近習で、本能寺の変でも信長と運命をともにしました。一方の信澄は、かつて信長が謀殺した同母弟・信行の嫡男で、信行が暗殺された当時は幼少であったため命を救われています。成長後は一門衆として信長の側近に取り立てられ、安土城の普請奉行を務めるなど厚い信頼を得たと伝わります。

つまり、もしこれらの伝承が正しければ、安土城の中核部の守りを任されたことからも分かるように、蘭丸と信澄は信長からきわめて篤い信頼を寄せられていたことになるのです。

安土城中心部への入り口とされる黒金門跡(Wikipedia)

大小の石を整然と積み上げた石垣が、壮大な食い違い虎口の姿を今に伝える黒金門跡ですが、発掘調査の一つの見解として、「大手道は山麓から本丸へ一直線に伸びていた」という説があります。もしこの説が正しければ、黒金門は本丸へ至る門ではなかった可能性も浮上します。

とはいえ、現在の遺構の状況から見れば、この門跡をくぐってこそ安土城の中枢部へ進むことができるわけです。ここから先は、いよいよ天主へと続く領域へ足を踏み入れていくことになります。

天皇行幸を見据えた本丸御殿

黒金門を過ぎると、東西180メートル、南北100メートルにおよぶ強固な高石垣に囲まれた安土城の中心部が姿を現します。ここには、天主を中心に、伝本丸跡・伝二の丸跡・伝三の丸跡などの主要郭が配置されていました。二の丸跡には、秀吉が信長の遺品を納めたとされる信長御霊所があり、訪れた際にはぜひ手を合わせたい場所です。

二の丸にある信長御霊所(Wikipedia)

さらに進むと、細長い形状をした平坦地に至ります。ここが城の中核といえる本丸跡です。本丸跡からもう一段高みに登ると、豪華絢爛な天主がそびえていた天主台跡へと到達します。安土城天主について触れる前に、本丸に何が存在していたのかを説明しておきましょう。本丸には、京都御所の清涼殿を模した建物が建てられていたとされます。これは、信長が京都から天皇を迎えることを想定していたためだと、一般的に考えられています。

安土城本丸御殿跡(Wikipedia)

そうなると信長は、天主から天皇がいる本丸を見下ろすことになります。天皇家の起源については諸説ありますが、1600年以上にわたって王家として君臨してきたことは確かです。その長い歴史の中で、天皇が存亡の危機に直面したことは幾度もあり、その一つに信長の存在を挙げる説もあります。安土城の本丸に立つと、その説がありえることと感じられてしまうのです。

他に類を見ない豪華絢爛な天主

安土城天主台とそこに残る礎石(撮影:高野晃彰)

天主台には、高さ約32メートルの望楼型・五重六階・地下一階建ての天主がそびえていました。現在は石垣と礎石を残すのみですが、ここに立つと信長独自の世界観を肌で感じ取ることができます。しかし、この天主は本能寺の変によって、完成からわずか3年で焼失する運命をたどりました。

安土城天主復元図(宇田妙子画)

安土城天主の在りし日の姿を偲ぶなら、安土考古学博物館と隣接する信長の館(安土駅から徒歩約25分)を訪れるのがおすすめです。ここには、安土城や信長に関する豊富な史料がわかりやすく展示されており、さらに信長の館には、豪華絢爛という言葉がふさわしい安土城天主最上部二層を詳細に復元した実物大の展示が設置されています。

復元された天主上層二層部分(信長の館)

さて、天主台を見学すれば安土城めぐりもいよいよ終盤です。帰路は登ってきた道を戻りながら家臣屋敷跡に再び立ち寄るのもよいですが、信長が城内に建立した摠見寺跡方面へ下っていくルートも魅力的です。重要文化財の三重塔や仁王門をくぐり、石段を降りていけば、そのまま大手門跡へとたどり着きます。

安土城跡そのものの見学時間は、個人差はあるものの1時間から1時間半ほどあれば十分でしょう。しかし、せっかく信長が本拠と定めた安土を訪れるのであれば、安土考古学博物館や信長の館をじっくり見学し、町内に残る安土城外郭跡やセミナリヨ跡なども歩いてみることをおすすめします。

さらに、安土には美味しい食事処も点在しており、一日かけて“信長三昧”の旅を楽しむことも可能です。戦国ファンにとっては、まさに垂涎の体験となることでしょう。

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