縄文人が「ヒスイ」を特別視した“本当の理由”とは?——古代日本人に最も愛された宝石・ヒスイの謎

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縄文人が「ヒスイ」を特別視した“本当の理由”とは?——古代日本人に最も愛された宝石・ヒスイの謎

薄緑の奥深い輝きをもつヒスイは、古代の日本人に最も愛された宝石だと言われています。縄文時代の大きな集落跡からは、しばしばヒスイの珠が出土します。珠とは装飾品の一種で、穴に紐を通してペンダントヘッドのように使ったと考えられるものです。

三内丸山遺跡に展示されている翡翠製大珠 出典:WIKIMEDIA COMMONS

ヒスイの珠は縄文時代のステータスシンボルだった

それは単なる美しい装飾品ではなかったようです。縄文人は薄緑色に潜む輝きに何らかの意味を持たせ、ムラの権力を象徴するステータスシンボルとして保持していたとされています。

当時のヒスイは現在のダイヤモンド以上に高価であったと考えられ、物々交換などの交易によって各地に広まっていきました。

南は九州から北は北海道までの大きな集落跡に、たいていは1つか2つ、多くても数個が見つかり、小さな集落跡から見つかることは殆どありません。

なかでも大珠(たいじゅ)と呼ばれる大きなものは希少品で、その地域における中心的な役割を担う大きなムラだけが持つことができました。

「糸魚川産ヒスイ」の影には蛇紋岩の存在があった

ヒスイの産地は全国に10か所ほどありますが、各地の縄文遺跡から出土するヒスイの多くは、日本海に面した新潟県や富山県の糸魚川周辺から運ばれたものでした。「糸魚川産のヒスイ」は最高級のブランド品として、縄文社会に広く知れ渡っていたと考えられています。

糸魚川周辺は上質なヒスイの産地であり、同時にヒスイを加工する為の道具となる蛇紋岩の産地でもありました。

小滝川ひすい峡のヒスイ原石 出典:WIKIMEDIA COMMONS

ヒスイはとても硬く、石の硬さを示すモース硬度は10段階で6.5〜7ほどで、蛇紋岩は3。因みにダイヤモンドが最も硬く硬度10です。

金属がなかった縄文時代にヒスイを加工するには、ある程度堅い「蛇紋岩」製のハンマーのような道具が不可欠でした。

この地域ではもともと蛇紋岩を材料にした石の道具作りが盛んで、木を伐採する時に使う石斧などを作り各地へと供給していました。やがて道具作りを応用してヒスイの加工品を作るようになりました。

糸魚川周辺にはその技術を持った遺跡が数か所あり、ヒスイの原石や加工品、または制作途中のものが多く見つかっています。ここはヒスイを採掘し、さらにそれを装飾品に加工して全国へ供給する、一大産地であったのです。

また中には、先端を尖らせたデザインのものが見られ、一目で特定の集落で作られた製品であることが分かります。糸魚川産という冠だけでなく、集落独自の固有のブランド品を作っていた可能性も考えられています。

ヒスイの加工は誰もが簡単にできることではありませんでした。それゆえ糸魚川産のヒスイは希少品とされ、ステータスシンボルとしての意味を持つようになったと考えられるようです。

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