『豊臣兄弟!』初回に知っておきたい!秀吉の暴走を止め続けた男・豊臣秀長(仲野太賀)の優しさと胆力 (4/5ページ)
豊臣政権の調整役として貢献した
千利休/Wikipediaより
豊臣秀次/Wikipediaより
千利休/Wikipediaより
秀吉が秀長を信頼していたことを代表する発言として「内々の儀は宗易、公儀の事は宰相存じ候、いよいよ申し談ずべし(『大友家文書禄』より)」があげられます。
秀吉がこの言葉を言ったのは天正14年(1586)頃、大友宗麟が島津氏の圧迫に苦しめられた時でした。
ちなみに、意味は「内密なことは宗易(千利休)に、政治的なことは宰相(秀長)に、それぞれ相談せよ」となります。
この発言から、秀吉は秀長に大名たちの統制を任せていたことがわかります。温厚な性格の秀長を頼る大名は多く、秀吉へのとりなしを頼まれていました。
豊臣秀次/Wikipediaより
また、甥の羽柴秀次が小牧・長久手の戦いで失態を犯した際には紀州征伐と四国攻めに従軍させ、秀吉への信頼回復に尽力したことから大名だけではなく、親族にも頼りにされていたことがうかがえます。