五右衛門風呂はいつから?仕組み・歴史・名前の由来などをまとめて解説
日本の素敵な文化のひとつが「お風呂」ではないでしょうか。自宅でゆっくり入るお風呂も、旅館の温泉で入るお風呂も、リラックスできますよね。
そこで今回の記事では、そんなお風呂のなかでも、特徴的な「五右衛門風呂(ごえもんぶろ)」について取り上げてみたいと思います。
そもそもどんな仕組みのお風呂で、いつから使われているのか、名前の由来などをチェックしていきましょう。
五右衛門風呂の仕組み今では、家庭ではほとんど見られなくなった五右衛門風呂。どんな仕組みなのか知らないという方も多いのではないでしょうか。五右衛門風呂は、鋳鉄製の底部に人が入れるくらい大きな円筒形の木桶をのせたお風呂です。かまどに薪をくべて、下から直火でお湯を沸かします。
五右衛門風呂はいつからあった?五右衛門風呂のはじまりは、鎌倉時代ごろまでさかのぼるといわれています。重源(ちょうげん)という僧侶が、遊学先の宋(中国)で見た鉄湯船を帰国して周防の地で作らせました。
その際に作られた「鉄湯釜」と「鉄湯舟」は、重要民俗文化財として山口県防府市にある東大寺別院・阿弥陀寺に今も保存されています。
五右衛門風呂の名前の由来インパクトの大きな五右衛門風呂という名前の由来は、安土桃山時代に天下の大盗賊として名が知られていた「石川五右衛門」です。
豊臣秀吉の命令により、石川五右衛門は京都の三条河原で釜茹での刑に処せられたと言われており、そのエピソードになぞらえ、直火焚きスタイルのお風呂がこの名前になったそうです。
息子ごと釜茹で処刑された大泥棒・石川五右衛門、実際の刑は釜茹でではなかった? 似ている「長州風呂」との違い五右衛門風呂と似ているものに、「長州風呂」があります。五右衛門風呂は底が鉄製であるのに対して、長州風呂は全体が鉄製であるという違いがあります。しかし、現在では長州風呂のことも五右衛門風呂と呼ぶことが多いです。
五右衛門風呂は、文学作品にも登場十返舎一九の作品『東海道中膝栗毛』には、入浴の時は、浮いている底板を踏み沈めて入るという五右衛門風呂の仕組みを知らなかった弥次さん喜多さんが、下駄を履いたまま入り、釜を壊して大騒ぎになったという場面も書かれています。
五右衛門風呂の製造は主に西日本で先ほどもご紹介したとおり、五右衛門風呂の日本におけるルーツは周防の地。そのこともあり、五右衛門風呂の製造は主に西日本で行われていきました。江戸では、鉄・燃料・水の確保が難しかったことや、火事の危険もあり、あまり流行りませんでした。
そうして考えてみると、弥次さん喜多さんが五右衛門風呂の入り方を知らなかったのも、納得かもしれませんね。
江戸時代の終わりごろには、安芸(広島県)で主に製造されるようになりました。戦前では、安芸が約8割を占めていたといいます。
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