『豊臣兄弟!』の聖地巡礼 ── 豊臣秀吉・秀長、天下統一へ「山崎の合戦」の舞台を訪ねる【後編】

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『豊臣兄弟!』の聖地巡礼 ── 豊臣秀吉・秀長、天下統一へ「山崎の合戦」の舞台を訪ねる【後編】

2026年1月4日(土)、豊臣秀吉とその弟・秀長の生涯を軸に、激動の時代を生きた人々の波乱と魅力を描くNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』が、いよいよスタートしました。

本稿では、物語の舞台となった“歴史の息づく地”を実際に訪ね、その背景と魅力をたどる企画をお届けします。

今回は、豊臣兄弟が天下統一へと大きく飛躍する転機となった「中国大返し」と「山崎の合戦」に注目。

[前編]の記事↓

『豊臣兄弟!』の聖地巡礼 ──超重要、天下統一の契機「中国大返し〜山崎の合戦」の真相に迫る【前編】

[後編]では、決戦の地である山崎を訪ね「山崎の合戦」に関わる名所や史跡をご紹介します。

豊臣秀吉像

山崎の合戦の舞台となった大山崎町

中国方面から京都への入り口・山崎(大山崎)に聳える天王山は、標高約270メートルの山です。この山は、交通の要衝である山崎の町を一望できることから、応仁の乱では東軍の陣地が置かれるなど、たびたび歴史の舞台となってきました。

天王山(京都府観光協会)

「山崎の合戦」においても後世に作られた合戦譚では、この天王山の攻防が勝敗の鍵を握ったとされ、「勝敗や運命の重大な分岐点」を意味する比喩表現として用いられるようになりました。

しかし意外なことに、実際の「山崎の合戦」では、天王山はそれほど重要な役割を果たしていませんでした。というのも、先に山崎へ進出した明智光秀は、開戦前に天王山へ兵を配置したものの、決戦の2日前には兵を引き揚げているのです。

これを見た羽柴秀吉は、中川清秀に天王山を占拠させ、弟の秀長にその防備を任せたと伝えられています。合戦後、秀吉は改めてこの山の重要性を認識したのか、急ピッチで山頂に山崎城を築き、大坂城を築くまでの間、ここを本拠としていました。

その天王山では、山中に「秀吉の道」と名付けられた遊歩道が整備され、「山崎の合戦」ゆかりの歴史散歩を気軽に楽しめるようになっています。

旗立松(Wikipedia)

山頂への途中にある「旗立松」には、「山崎合戦之地碑」が立っています。ここは、秀吉が千成瓢箪の軍旗を掲げたという伝承を持つ松で、現在の松は七代目になるといわれています。すぐそばには小規模な展望台があり、合戦の舞台となった山崎の町や京都方面を一望できます。

そこから遊歩道を約20分登ると、天王山山頂にある山崎城跡に到着します。山頂の本丸跡には天守が建っていた可能性もあり、現在も石垣や土塁、井戸跡などが残されています。

天王山に築かれた山崎城跡(Wikipedia)

山崎城の城下町である山崎は、京都への入り口であるとともに、淀川・宇治川・木津川という三川の合流点に位置し、水運の便に恵まれた土地でした。また、荏胡麻の販売権を独占した自治都市でもあり、防衛のため町全体を堅固な門や防塁で囲んでいたといいます。

秀吉は、堺と並んで繁栄した経済都市としての側面と、京都と大坂の双方を睨むことのできる地勢を併せ持つこの山崎から天下統一への第一歩を踏み出した、そのように捉えることもできるでしょう。

山崎の合戦において光秀本陣が置かれた勝龍寺城

山崎から北東に約2キロメートルの場所に、勝龍寺城があります。この城は、光秀と深い関係を持った細川藤孝の居城でしたが、「山崎の合戦」の際には光秀が本陣を構えた城としても知られています。

勝竜寺城跡(Wikipedia)

決戦に敗れた光秀は、山崎から勝龍寺城へと退却します。しかし秀吉軍はすぐに城攻めを開始しました。光秀は、体勢を立て直すべく、夜中のうちに同城を脱出して坂本城を目指しますが、その途上で落ち武者狩りに遭い、命を落とすことになります。

落ち武者狩りで重傷を負う明智光秀。見立十干之内 小栗栖の土 武智道秀/歌川芳房作

勝龍寺城の歴史は15世紀中頃まで遡ります。とりわけ戦国時代に入ると、山陽道と京都を結ぶ西国街道の要衝として重視され、近世的な城郭へと整備されました。発掘調査の結果、石垣を用いた城郭であったことや、天守の存在も確認されています。現在は城址公園として整備され、いにしえの姿を偲ぶことができます。

細川ガラシャ・今古誠画 浮世画類考之内/小林清親作

また勝龍寺城は、1578年(天正6年)に藤孝の嫡男・細川忠興と、光秀の娘・ガラシャ(玉子)が婚礼を挙げた場所でもあり、二人はこの城で幸せな新婚生活を送ったと伝えられています。しかし、その4年後に本能寺の変が起こり、ガラシャの悲劇的な人生も始まることになるのです。

山崎の合戦の歴史や豊臣兄弟の足跡を実感

山崎には、明治初期の町家が残る西国街道の宿場町・山崎宿の町並みと、その歴史を紹介する大山崎町歴史資料館があります。

また、行基の創建とされ、豊臣秀吉が三重塔を一夜で建てたという伝承をもつ宝積寺、宇多天皇の勅願により創建された山崎聖天(観音寺)、重要文化財の木造阿弥陀如来像を有する大念寺などの名刹、さらには千利休作の茶室「待庵」を保存する妙喜庵など、見どころが数多くあります。

宝積寺三重塔(Wikipedia)

山崎は、京都と大阪の中間地点に位置するため、両都市と比べると観光客の姿も少なく、落ち着いて歴史散策を楽しめます。

山崎をめぐる際に公共交通機関を利用するなら、JR山崎駅、または阪急京都線・大山崎駅を起点とするのが便利です。山崎散策の後は、JR長岡京駅まで足を延ばし、ぜひ勝龍寺城跡も訪ねてください。ゆっくり歩いても、約5時間あれば十分な行程となります。

豊臣秀長像/春岳院所蔵(Wikipedia)

この地を訪れると約450年前、豊臣秀吉・秀長兄弟が天下人へと飛躍する契機となった戦いの歴史を、より身近に感じられることでしょう。

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※参考文献
高野晃彰(京あゆみ研究会)著 『京都ぶらり歴史探訪ガイド 今昔ウォーキング』メイツユニバーサルコンテンツ刊

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