『豊臣兄弟!』で織田信長と敵対していた織田伊勢守(織田信安)は何者?敗れ去った末路を紹介
第2回放送「願いの鐘」で、織田信長(小栗旬)の敵対勢力として言及された岩倉城主の織田伊勢守(いせのかみ)とは何者でしょうか。
『豊臣兄弟!』小一郎(仲野太賀)と直(白石聖)、身分違いの結婚?絶望から武士の道へ…第2回放送を考察劇中では岩倉城を火の海にされていましたが、まだまだ伊勢守は諦めません。という訳で、今回は織田伊勢守こと織田信安(のぶやす)について紹介したいと思います。
最初は良好な関係だったが……信長と対立
織田伊勢守の偽装降伏を拒絶する信長。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
織田信安は生年不詳、通称を三郎または七兵衛尉(しちひょうゑのじょう)などと言いました。
岩倉城主の織田敏信(としのぶ)が亡くなると幼くして家督を継ぎ、犬山城主の織田信康(信長叔父)に後見を受けたといいます。
やがて姉妹が織田信秀(信長父)の側室となったため、信長のおじになりました。
姻戚関係により、当初は信長と良好な関係を築いていましたが、信秀が世を去ると状況が一変します。
犬山城主の織田信清(信康子)が所領をめぐって信長と対立し、信安も恩のある信清に与したからです。
息子に追放され、伊勢守家が滅亡
織田伊勢守を討つべく準備を整える信長。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
天文22年(1553年)3月27日、信長と内通した疑いで家老の稲田大炊助(おおいのすけ)を粛清しました。
弘治2年(1556年)に美濃の斎藤義龍(DAIGO)が父の斎藤道三を討って国を奪うと、信安はこれに呼応。信長に対する敵意をむき出しにします。
同年に末森城主の織田信勝(信長弟・信行)が信長に叛旗を翻すと、信安はこれに加勢しました。
しかし信勝は永禄元年(1558年)に謀殺され、なおも信長に抵抗したものの、間もなく長男の織田信賢(のぶかた)によって岩倉城から追放されてしまいます。
これは信安が信賢を廃嫡して次男の織田信家(のぶいえ)を後継者にしようと考えていたからでした。
信賢は独自に信長と戦ったものの、あえなく攻め滅ぼされてしまいます。かくして織田伊勢守家(岩倉織田家)は滅亡してしまいました。
なおも抵抗を続けたが……。
織田伊勢守の討伐に出陣した信長。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
仕方なく信安は美濃の斎藤義龍・斎藤竜興(濱田龍臣)の二代に仕え、なおも信長に抵抗を続けます。
敗戦を重ねる内に斎藤家が滅亡すると京都へ逃れますが、最早抗戦の術がありません。
やがて信長から同族のよしみで罪を赦され、美濃にわずかな所領を与えられました。
晩年は出家して常永(じょうえい)または玉甫(ぎょくほ)と号し、安土摠見寺(滋賀県近江八幡市)の住職となります。そして天正19年(1591年)10月24日に世を去りました。
すでに信長は本能寺で横死を遂げ、織田家臣であった羽柴秀吉(藤吉郎。池松壮亮)が天下を一統。そして羽柴秀長(小一郎。仲野太賀)は世を去っています。
一説には旧臣であった山内一豊(やまのうち かずとよ)を頼って土佐国(高知県)へ移住し、慶長19年(1614年)まで生き永らえたとも言われるそうです。
終わりに今回は織田伊勢守こと織田信安の生涯をたどってきました。果たして彼は姿を現すのでしょうか。多分このままフェイドアウトと思われますが……。
信長が尾張国を一統するまでには、まだまだ多くの強敵が待ち受けています。
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」天下布武を掲げて突き進む信長と、必死についていく小一郎&藤吉郎を見守っていきましょう!
※参考文献:
谷口克広『尾張・織田一族』新人物往来社、2008年7月 戦国人名辞典編集委員会 編『戦国人名辞典』吉川弘文館、2006年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
