大久保利通 暗殺事件の犯人が残した「斬奸状」の五つの罪状、実は100%誤解と間違いだった (3/4ページ)

Japaaan

西郷の死がもたらした影響

大久保利通は確かに強引な手法を取ることもありましたが、彼が目指していたのは専制国家ではありませんでした

むしろ、大久保はイギリス型の立憲君主政と産業国家を理想としていたのです。

イギリスは、島国ながらも工業力で世界の大国になっていました。大久保は、この日本にも同じような道を歩ませたかったのです。

大久保は一八六八年から三〇年間の国家計画を立てていました。「創業期」「内治整理・殖産興業期」「守成期」の三段階に分け、段階的に近代国家を築こうとしたのです。

これは、急いで結果を出すのではなく、しっかりと基礎を作ってから発展させるという、長い目で国を見据えた計画でした。

ではなぜ、ここまでやってきた大久保の評価が決定的に悪くなってしまったのでしょうか。その大きなきっかけとなったのは、西郷隆盛の死です。

上野公園の西郷隆盛像

士族たちに人気のあった西郷が西南戦争で敗れて亡くなったことで、大久保は維新の賊臣と呼ばれるようになりました。

人々は、武士の理想像である西郷と、現実的な政治家である大久保を比較して後者を悪者にしたのです。

「大久保利通 暗殺事件の犯人が残した「斬奸状」の五つの罪状、実は100%誤解と間違いだった」のページです。デイリーニュースオンラインは、島田一郎大久保利通明治維新明治時代政治カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る