「司馬遼太郎が坂本龍馬を有名にした」は誤解——実は戦前から教科書に載り龍馬人気は存在した

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「司馬遼太郎が坂本龍馬を有名にした」は誤解——実は戦前から教科書に載り龍馬人気は存在した

司馬遼太郎以前から…

幕末のヒーローとして知らない人はいないビッグネーム、坂本龍馬。教育指導界隈では、指導要領が変わるたびに「坂本龍馬の名前が歴史教科書から消える」と話題になりますが、実はこの話、ちょっとした誤解があるのです。

教科書から幕末のヒーロー・坂本龍馬の名前が消える!?その理由と真相について考える

まず、よく言われる「戦前の教科書には龍馬は載っていなかった」「龍馬が有名になったのは戦後、司馬遼太郎の小説のおかげである」というイメージです。

これは正しくありません。実は、坂本龍馬の名前は戦前から教科書に登場していました。

ご存じ、桂浜の坂本龍馬像

坂崎紫の『南の海血汐の曙』や『汗血千里駒』などで、すでに明治時代から龍馬という人物の活躍は広く知られていました。

昭和十八年、つまり一九四三年の国定教科書『初等科国史』には、「土佐の坂本龍馬らの努力」と明確に書かれたりしているのです。

つまり司馬遼太郎の作品が世に出るよりも前から、龍馬人気は存在していたということです。司馬は、ヒーローとしての龍馬を、自作で再び取り上げたにすぎません。

歴史教育の方針にあわせて

一方で、龍馬の名前が教科書から消えた時期もあります。これはなぜでしょう。

戦後、一九五〇年代の教科書では、龍馬だけでなく幕末志士全体の記述が大幅に減少しました。

薩長同盟も大政奉還も、人物名の記載を避けて「薩長の緊密な連合」「三藩の連絡」といった抽象的な表現にとどまっていたのです。

岩倉具視や西郷隆盛・木戸孝允・山内容堂・徳川慶喜など、今では歴史の本に必ず登場する人物名も、当時はほとんど載っていなかったのです。

将軍在任時の徳川慶喜(Wikipediaより)

この変化の背景には、戦後の歴史教育の大きな転換がありました。

もともと戦前の歴史教育は人物中心で、英雄的な叙述が多かったため、自然と英雄史観じみた記述が多くなっていたのです。

これが、戦後は社会科学的な構造分析を重視する方向に変わりました。

その結果、個人名や「薩長同盟」「大政奉還」といった用語も避けられ、政治過程を抽象的に説明する傾向が強まったのです。

分かりやすさと過大評価

ところが一九六〇年代、つまり昭和三十年代に入ると、再び坂本龍馬や中岡慎太郎などの人物名が再び教科書に登場し始めました。

これは明らかに司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の影響で、「人物の行動が歴史を動かす」という英雄史観に沿った説明が復活したと言えるでしょう。

司馬遼太郎(Wikipediaより)

また、こうした人物名が教科書に戻ってくると、歴史の説明もやりやすくなります。教師たちは授業をわかりやすくするため、龍馬を中心に幕末史を教えるようになりました。

『竜馬がゆく』などの小説やドラマの影響を受けた解釈が授業に入り込み、薩長同盟が歴史の転機になったとか、その立役者が坂本龍馬だったとか、龍馬が大政奉還を実現させたなどという幕末のストーリーが広まったのです。

しかしその結果、龍馬や薩長同盟を過大評価する誤解も生まれやすくなりました。

実際には龍馬の役割も薩長同盟の意味合いも決して単純ではなく、もっと複雑な政治過程があったのに、全てが龍馬一人の功績のように語られてしまう傾向が強まったのです。

要するに、坂本龍馬の名前が教科書に掲載されたりされなかったりするブレは、日本の歴史教育が人物中心構造中心かの間で揺れ動いてきた証なのです。

現在はより実証主義的な見方が優勢になってきているので、「坂本龍馬の名前が教科書から消える」というのは、構造中心にシフトしてきた証とも言えるかも知れません。

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参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia

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