鋭すぎる縄文人の美意識──遮光器土偶のルーツを探ると見えてくる縄文の祈りの形

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鋭すぎる縄文人の美意識──遮光器土偶のルーツを探ると見えてくる縄文の祈りの形

縄文時代の土偶と言うと、真っ先に「遮光器土偶(しゃこうきどぐう)」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

あの大きな目をしたユニークな姿は、時に「宇宙人」に例えられるほど。縄文人が作った土の人形とは信じがたい不思議な魅力に溢れています。

「遮光器土偶」出典:Wikimedia Commons

遮光器土偶が作られたのは、今から約3000年前の縄文時代晩期です。それは1万年以上続いた縄文時代が終わりを告げようとしていた時期です。

では土偶は当初からこのような姿をしていたのでしょうか?

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日本最古の土偶とは?

日本最古の土偶と言われているのは、今から約1万2000年前の縄文時代草創期に出現した2体の土偶です。

この頃になると縄文人たちは小さな集落を作り生活するようになり、彼らの中に新たな精神文化が生まれました。

それまでは土器や石器などの実用品だけを作っていましたが、新たに祈りのための道具が必要となったのです。その一つが土偶であったと考えられています。

最古の土偶の1体は、トルソーのような高さ3.1㎝の頭部のない上半身の土偶です。
滋賀県東近江市の「相谷熊原遺跡(あいだにくまはらいせき)」の竪穴住居跡から見つかりました。

「相谷熊原遺跡出土 土偶 」 出典:Wikimedia Commons

表面は滑らかで、粒子の細かい土を用いて丁寧に作られています。もう1体は三重県で出土した、目鼻口のない小さな頭部と上半身だけの土偶です。

求めたのは女性のシルエットと神秘性

最古の土偶たちの特徴は、何といっても女性らしい美しいシルエットです。女性の身体に命が宿ることを、神秘的なイメージと重ね合わせているようです。

上半身だけにした理由は、祈りのための人形に相応しいように、敢えて“人間とは違う”ことを表わしていると言われています。

“頭部がない”ことや、あったとしても“目鼻口は表現しない”、また“手足がない”という傾向はその後も受け継がれていきます。

土偶は時代と共に変化した

今から約7000年前の縄文時代早期には、北海道~九州までの広い地域で〝第2世代の土偶〟が出現します。その土偶たちはどれも上半身のみで、小さな頭部があっても目鼻口はなく、僅かにつまみ出されたような腕があり、大きさは数センチほどです。

そして今から約5000年前の縄文時代中期になると、全国各地で土偶作りが盛んになります。当時、人口は爆発的に増え、集落では祭祀などが盛んに行なわれるようになりました。

〝遠目でも目立つ〟ような立像が多く作られ、人間を模したような目鼻口が描かれた頭部や手足を持つ土偶が各地で出現しました。

こうして祈りのシンボルとしての役割を持った土偶は、それぞれの文化を背景に特徴的な造形を持つようになりました。

積み重なった土偶文化が遮光器土偶を作った

遮光器土偶の大きな目は突然現れたものではなく、この土偶が誕生する前の時代(縄文時代後期)の土偶の目が、徐々に変化したものだと考えられています。

また頭の上の王冠のようなものは、髪型やかんざしを誇張した表現と思われ、引き締まったウエストや膨らみを持った足などと共に、何らかの意味を持っていると考えられそうです。

東北で誕生した遮光器土偶は、やがて北海道や東日本へと広がります。その過程でさらに他の文化の影響を受けるなどして、大きな目が小さくなったり、王冠が角の様になったりと、定番の形とは違う遮光器土偶が作られていきました。

初期の土偶とまるで違う造形には、それだけ多くの祈りや多様な文化が混じりあったことが伺えるようです。

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