幕末のパスポートには写真がない…福沢諭吉は代わりに“鼻の形”で本人チェックされていた!?

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幕末のパスポートには写真がない…福沢諭吉は代わりに“鼻の形”で本人チェックされていた!?

突然ですが、読者の皆さんは「パスポート」って持っていますか? 今は顔写真がついているのが当たり前ですが、昔はもっと「アナログ」で、ちょっと「恥ずかしい」ものだったんです。

日本初の海外渡航者の一人、福沢諭吉がどんな思いで世界へ飛び出したのか、その裏話を紹介します。

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海外に行ったら死刑!? 鎖国の終わり

江戸時代の日本は、ずっと「鎖国」をしていて、勝手に海外へ行くことは絶対に許されませんでした。もし内緒で海を渡ろうとしてバレたら、死刑になることもあるほど厳しいルールだったんです。

でも、幕末になると幕府も「外の世界を知らないとマズい!」と気づき始めます。1860年、咸臨丸使節団としてアメリカへ渡航が認められ、その通訳役に抜擢されたのが若き日の福沢諭吉でした。

これが彼の海外初挑戦で、日本の開国期を象徴する出来事です。

1862年にパリのフランス国立自然史博物館にて撮影 東京大学史料編纂所蔵

写真はナシ! 自分の顔を「言葉」で説明する?

一番驚くのは、当時のパスポートには「写真」がなかったことです。カメラがまだ珍しい時代ですから、写真を貼るなんて考えられませんでした。​

じゃあ、どうやって本人だと証明したのでしょうか?

実は、書類に「身体の特徴」を細かく文章で書いていました。諭吉のパスポート類似書類には、「背はこれくらい」「鼻の形はこう」「目に特徴がある」といったことが詳しく記され、入国審査のたびに外国の役人に顔をじろじろ見られながらチェックされていたのです。

今の私たちからしたら、ちょっと恥ずかしくて笑っちゃいますよね。​

諭吉が持ち帰った、1万円以上の価値があるもの

諭吉はこの機会を利用してアメリカやその後ヨーロッパへ渡り、病院や郵便局など日本にはない先進文明を目の当たりにしました。そこで彼が見たものを全部メモして日本に持ち帰り、『西洋事情』という本を書いてみんなに伝えました。​

彼が後に『学問のすすめ』を著したり、慶應義塾大学を築いたりできたのも、この幕末の渡航体験が基盤にあったからです。​

1枚の紙が広げた日本の未来

福沢諭吉が手にしたのは、ただの紙切れではありませんでした。それは、閉ざされていた日本から世界へ飛び出すための「自由へのチケット」だったんです。

もし皆さんが将来パスポートを手にすることがあったら、一万円札の諭吉さんの顔を思い出してみてください。150年以上前、彼が「鼻の形」をチェックされながらドキドキして海を渡ったからこそ、今の私たちの自由な旅があるのかもしれません。

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参考文献

福澤 諭吉 『福沢諭吉全集』第1巻(1969 岩波書店) 福澤 諭吉 『西洋事情』(2009 慶應義塾出版) デジタルで読む福澤諭吉 『西洋事情. 初編. 一』慶応義塾大学メディアセンターデジタルコレクション

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