日本のレジャーの原風景『スワンボート』なぜここまで定着?爆売れさせた奇跡の改良…それは“しっぼ” (2/3ページ)

Japaaan

ボストンのスワンボート(操縦士が白鳥の後ろに立つ)

法律の改正がスワンを生んだ?

1970年代前半、日本の水辺のレジャーは今とは少し異なる様相を呈していました。当時は手漕ぎボートに加え、小型のエンジンを搭載したモーターボートが人気を博していました。当時は免許がなくても手軽に乗ることができたため、多くの子どもたちや家族連れがスピード感を楽しんでいたのです。

ところが、手軽さゆえに事故が相次ぐようになります。これを受けて1974年(昭和49年)、船舶職員法(現在の船舶職員及び小型船舶操縦者法)が改正されました。これにより、たとえ小型の動力付きボートであっても、操縦には「小型船舶操縦士」の免許が必要になったのです。

この法改正は、水辺の観光地に大きな打撃を与えました。免許を持たない一般の観光客がエンジン付きボートに乗れなくなり、水辺から子どもたちの歓声が消えてしまったのです。

運命の白鳥との出会い

この状況を打破しようと立ち上がったのが、スナガの創業者である砂賀良夫氏でした。彼は「免許がなくても、子どもたちが自らの力で進めるボートを作れないか」と考えを巡らせました。

そこで彼が注目したのが、当時、観光地で大流行していた「サイクリング」でした。自転車のようにペダルを漕いで進む仕組みをボートに取り入れれば、免許は不要で、なおかつ手漕ぎボートよりも楽に移動できるはず。そう確信した良夫氏は、1975年(昭和50年)に日本初となる「足漕ぎボート」を開発します。

しかし、初期の足漕ぎボートは期待に反して全く売れませんでした。当時のデザインはシンプルで、機能性を重視した「箱型」に近い地味なものだったからだそうです。

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