『豊臣兄弟!』息子3人を失い一族すべて処刑…豊臣秀吉の姉・とも(宮澤エマ) 激動の生涯
大河ドラマ「豊臣兄弟!」は、5話『嘘から出た実(まこと)』から、いよいよ新章に入ります。
出世した兄弟は、これから故郷の母や姉妹らを呼び寄せ、賑やかに暮らしていくようですが。
「たっしゃでな〜!」と明るく、村にある“願いの鐘”をガンガン鳴らして兄弟と幼馴染の直(白石聖)を送り出した、母と姉妹。野盗に襲われたり食べるものに苦労したりする貧困生活から、ようやく抜け出し幸せに……と思いきや。
史実では、これから秀吉の出世物語に伴い、翻弄される姉妹の運命。それを思うと切ないものがあります。
以前、“兄・秀吉に仲良く暮らしていた夫と離縁させられ、徳川家康(松下洸平)の正妻になる、妹・あさひ(倉沢杏菜)の運命”をご紹介しました。
【豊臣兄弟!】徳川家康(松下洸平)の妻になる豊臣 妹・あさひ(倉沢杏菜)との出会いと儚い結婚の結末今回は、宮澤エマさんが演じる姉・ともの激動の人生を、「ドラマのとも像」と「史実のとも像」を比べつつ、ご紹介します。
新章に入り、秀吉や小一郎の立身出世とともに、姉妹も避けようのない運命の大きな車輪に巻き込まれていくのでした。
豊臣兄弟が呼び寄せた、幸せな“家族の時間”
兄弟と村を出るとき、姉・ともは「自分は婿を取ることになったから男手は必要なくなった!」と言って送り出していましたね。
母・なか(坂井真紀)に「お天道さまみたいにおなり」と言われたように、4話の『桶狭間!』で、その第一歩を踏み出した兄弟。
手柄を認められた藤吉郎(池松壮亮)は、織田信長(小栗旬)から「秀吉」の名前を授かり、足軽組頭に出世、小一郎(仲野太賀)も「兄と共に使える」と宣言して、褒美の銭をもらいました。
一方、ともは弥助(上川周作)と結婚、あさひは甚助(前原瑞樹)と結婚します。
姉妹の夫たちは、実在の人物です。
人物設定は、「豊臣兄弟!」の公式サイトによると……
〜【弥助】豊臣兄弟の姉・ともの夫。のちの三好吉房。小一郎たちが清須に家族を呼び寄せた後は、彼らを手伝い武士となる。ともとの間に、3人の男子をもうける。〜
演じる上川周作さんによると、「家族と時代の流れの狭間で葛藤しながら、そっと家族を支えていく人。豊臣ファミリーの雰囲気を大切に、弥助の“父”としての姿を丁寧に演じていきたい」とのこと。
〜【甚助】豊臣兄弟の妹・あさひの夫。のちの副田吉成。天真爛漫なあさひとは良き夫婦となる。弥助同様、小一郎たち行動を共にすることに。〜
演じる前原瑞樹さんによると、「乱世の戦国時代を生き抜くにはあまりに情けない人間ではございますが、どの時代にも様々な人がいたんだと思ってもらえるように精一杯生き抜きます。」
とのこと。史実では、弥助も甚介も豊臣姉妹の運命に伴い、過酷なものになっていくのですが。
左:あさひの夫甚助、右:ともの夫弥助 NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより
ともは、ごく普通の生活を送るはずが…姉・ともは、天文2〜3年(1533〜34年)頃、尾張中村(現在の名古屋市中村区)にて、足軽の木下弥右衛門となかの娘として誕生。4人兄弟姉妹の長女で、秀吉とは2歳違いだったそうです。
9歳年下の妹あさひが誕生した年に父親が亡くなったため、子供の頃から母の手伝いをしつつ弟妹たちの面倒をみてきたのでしょう。
ともは、大人になって弥助(のちの三好吉房)と結婚します。史実では、弥助の姓や出自などについては多くの説があり、実像ははっきりしていないそうです。
史料によると、弥助の職業は、雉などの鳥を飼いならし大名の娯楽だった「鷹狩り」の獲物として準備する「綱差(つなさし)」や馬貸し業を営んでいた、という説もあります。
どのような人物だったかはわかりませんが、ドラマで描かれているようにしっかりもので気丈なともと一緒になり、ごく普通の暮らしを営んでいたのではないでしょうか。
もし、ともが武家の姫として生まれたのであれば、状況がめまぐるしく変化する戦国時代で、“政争の駒”として自分が使われることになる覚悟もできていたでしょう。
けれども、生まれてからずっと百姓仕事に勤しんできたごく普通の女性である彼女は、秀吉の出世にともない、運命の渦に飲み込まれていくのでした。
結婚して35歳〜45歳で3人の息子を授かる
ともは、35歳頃で長男の秀次(治兵衛)、翌年には秀勝(小吉)、その10年後の45歳頃に秀保(辰千代)と、三人の息子を産みました。
戦国時代の出産年齢は、平均的に15歳〜24歳だったそうです。今よりもはるかに出産は高いリスクをともなう時代に、35歳〜46歳にかけて3人の子を産むという異例の出産歴を持っている人なのでした。
その理由に関しては、“金銭的に余裕がなく子供を出産し育てるどころではなかった”という説が一般的なようです。
幼い弟妹たちの面倒をみてきたともは、三人の子育てもお手のものだったことでしょう。
彼らが幼い頃は、 “母親”としての充実した平穏な時間を送っていたかもしれません。けれども、その生活は長くは続かなかったのでした。
秀吉は、織田信長のもとで頭角を現していき、さらに、本能寺の変で信長が亡くなってからは天下統一へと突き進みます。それに伴い親族もまた重要な役割を担うようになりました。
天正19年(1591)、ともが57歳頃、長男・秀次は関白職を秀吉から譲られて、一家は秀吉の政庁兼邸宅の聚楽第に移ります。この年、秀吉は53歳で淀殿(茶々)との間に授かった、嫡子・鶴丸を病でわずか数えの三つで失うという不幸に見舞われてしまいます。
ともの三人の息子は、長男の秀次・次男の秀勝は秀吉の養子に、三男の秀保は秀吉の弟、秀長の養子となったのでした。
そして、秀次は、正式に秀吉の後継者となり関白に……とも夫婦にとっては最大の栄誉と思われる出来事で、これから輝かしい未来が待っているのかと思いきや、運命はここで大きく変わってしまいます。
聚楽第で政務を執り仕切っていた秀次でしたが、秀吉と淀殿の間に豊臣秀頼が誕生して、状況は一変してしまうのでした。
本当に“病”か?次男・三男が相次いで亡くなる不幸
天下人の姉として百姓から栄光の人生を掴んだように見えたともですが、三人の息子を相次いで失うという、“母”としては最悪の悲劇を迎えます。
まず、文禄元年(1592)のこと。次男の小吉・秀勝は、文禄元年に起きた「文禄の役」で、朝鮮国の巨済島に渡るも病を発症し、24歳の若さで陣中にて亡くなってしまいました。離れた異国の地で病に倒れた息子を思う、母親の心中はいかばかりだったことでしょう。
さらに、文禄4年(1595)4月。秀長の養子として大和中納言を務めていた三男の秀保が不可解な死を遂げます。享年わずか17歳。史料によると吉野・十津川温泉で湯治を行っていたところ、病が悪化して死亡したという話です。秀保の死因は複数の説があります。
常日頃、秀保に理不尽な仕打ちを受けていた小姓の恨みが爆発。秀保に抱きつき、二人もろとも川に飛び込み溺死した説や、殺生を禁じる池で魚を獲って食べたために土地の神の怒りに触れて溺死したなど。ただし、これらは、「後世に作られた俗説」という見方のほうが強いようです。
さらに、秀吉は、秀保の死を悼む様子を見せなかったこと、長男の秀次に葬儀を密かに済ませるよう命じたことなど不可解なことも多く、“病死ではなく政治的な意図が絡んだ事件”との説も。
ともは北政所(寧々)に陳情、やっと正式な葬儀を行うことができたそうです。
「秀次事件」で長男は切腹、一族すべてが処刑され
さらに、三男の秀保の死からわずか三ヶ月後の文禄4年(1595)7月。「秀次事件」が起こります。
秀次は「殺生関白」と言われるほど暴力的な人格(これも後世に作られた人物像という説あり)という噂があったから、後継者を秀次から我が子・秀頼に変えようと考えた秀吉。
「秀次が謀反を企てている」という讒言が耳に入り、秀次を高野山に追放します。
弁明も許さなかった秀次は出家するも「賜死(しし)/死刑の一種」が下され、自害してしまいます。(「秀次事件」の詳細は諸説あります)
無実ゆえの切腹!?妻子ら30余人が公開処刑、謎に包まれた戦国武将・豊臣秀次の切腹の真相さらに、秀次の妻子、侍女、乳母までおよそ30人ほどが処刑されてしまいました。
そのうえ、秀次が見染めて側室へと所望され京都に出向いてきた、最上義光の娘で“東国一の美少女”と名高かった駒姫も、犠牲に。
都に到着したばかりにもかかわらず、“秀次の側室候補”というだけで、三条河原で15歳の若さで処刑されたのでした。
(淀殿がこの話を聞いて“駒姫の処刑は取り消すよう”秀吉に申し入れ、急使を出すも間に合わず、駒姫は処刑されてしまいました。)
あまりにも残酷な出来事の連鎖。ともは処刑を免れたものの、夫の三好吉房は、所領没収、讃岐国に流されて軟禁されたのでした。
ともは、相次いで自分の息子全員を失い、その縁者も失い、夫とは離れ離れになり、すべてを失ってしまいました。
仏門に入り豊臣家の滅亡を見届け92歳まで生きたとも
深い悲しみのなか、ともは翌年の文禄5年(1595)正月、仏門に入って出家、日秀尼(にっしゅうに)を名乗り、京都に瑞龍寺を建立しました。
慶長3年(1598年)8月18日、弟・秀吉の死を見送り、慶長17年(1612年)には夫に先立たれ、慶長20年(1615年)夏には大坂の陣で豊臣秀頼ら親族の大半を失い、豊臣家の滅亡を見届けます。
そして、寛永2年(1625)に死去。享年92歳でした。
激動の戦国時代から、江戸時代となり三代将軍・家光の時代まで生きたとも。
百姓のせがれだった藤吉郎と小一郎が出世をして天下人とその片腕になり、結婚して三人の息子を見送り、豊臣家の滅亡までのすべてを見届けたのです。
希望しかなかった豊臣兄弟姉妹。NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより
最後に戦国時代の大河ドラマは、有名な武将たちのドラマティックな物語が展開される一方で史実を探っていくと、 その武将たちの“家族”は必ずしも「守られる存在」ではなかったという切なさもあります。
始終お腹を空かせ、顔は日焼けして、髪もボサボサ。けれども日々、たくましく生き、兄弟に夢を乗せて屈託ない明るい笑顔で彼らを送り出した姉妹。
二人とも良き伴侶と巡り合い、贅沢とは程遠くても、毎日あの笑顔のままの人生を送ってほしい……と思うのですが、そうもいかないのが歴史ドラマのつらいところ。
聡明で気丈で兄弟を叱咤激励するしっかりものキャラのともですが、天下人の姉として、これから迎えなければならない悲劇の数々を受け止めていく女性として、どのように描かれていくのでしょうか。
宮澤エマさんが演じるともの表情、セリフ、立ち居振る舞いから汲み取っていきたいと思います。
ともと弥助夫婦を待ち受ける運命は。 NHK「豊臣兄弟」公式サイトより
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