『豊臣兄弟!』バチバチの寧々×まつ、史実では大親友だった…今後、敵対から一転する「5つの理由」
第5話『嘘から出た(まこと)』から、新章に突入したNHK大河ドラマ『豊臣兄弟』。
今回、“戦略”の陰で描かれたのはさまざまな「夫婦の姿」でした。
余談ですが、5話放送の翌日2月2日は「いい夫婦の日」。もしかしたら意識した?(「べらぼう」も、そういう脚本がありましたよね)と思ってしまいました。
豊臣姉妹と、人の良さそうな夫たちの夫婦。
今だ “好き”“と言えない藤吉郎(池松壮亮)と寧々(浜辺美波)という、将来の天下人夫婦。
前田利家(又左衛門/大東駿介)と、気が強く “ドヤ顔”がキュートなまつ(菅井友香)夫婦。
髭面の豪傑・大沢次郎左衛門(松尾諭)と病身で夫を支える妻・篠(映美くらら)の、互いを想う気持ちが泣ける夫婦。
『豊臣兄弟!』妻との絆に涙…いずれ秀吉に仕える大沢次郎左衛門の生涯と、2つの「嘘から出た実」今回は、そんなさまざまな“夫婦”の中から、今は“犬猿の仲”の前田夫婦と豊臣夫婦に注目。
なかでも、将来的に “親友”となる、寧々とまつの“妻同士”の歩みを、ドラマと史実を行き来しつつ、考察&予測してみました。
史実における“若き日の寧々と秀吉”は
5話で、鵜沼城城主・大沢次郎左衛門の調略に成功し、信長(小栗旬)に会わせたものの、大ピンチに陥る豊臣兄弟。
二人は、命の危機を “兄弟愛”で乗り切り、6話(?)こそ、藤吉郎は無事寧々にプロポーズ……するのかもしれません。(大沢殿も無事に篠殿の元に帰ってほしい。)
藤吉郎が惚れた寧々。史実では、天文17〜18年(1548〜1549/諸説あり)頃、信長の家臣・杉原定利と朝日殿の次女として誕生。その後、浅野長勝(宮川一朗太)・ふく(森口瑤子)の養女となります。
そして、永禄4(1561)年、寧々は12〜13歳頃に秀吉と結婚。現代の感覚では、若過ぎる感じですが、利家の妻・まつは数え年で12歳という若さで初産を経験しています。
※藤吉郎と寧々の結婚時期については下記記事で解説しています。
政略結婚が多い戦国時代の中で秀吉と寧々は、当時としては珍しい恋愛結婚で結婚式も挙げました。といっても、まだ秀吉の身分が低いことから、藁(わら)と薄縁(うすべり/ござのような敷物)を敷いた上で行った非常に質素なものだったそうです。
二人の結婚は、生母の朝日殿が猛烈に反対したのは有名な話ですが、寧々はそれで諦めず秀吉との結婚を貫き通しました。
【豊臣兄弟!】藤吉郎(池松壮亮)と寧々(浜辺美波)が結婚へ…結婚に大反対した生母・朝日殿とは?この結婚に関しては、寧々に読み書きや学問などを指導していた女性が、藤吉郎を見込んで二人が結婚できるよう一役買ったという説もあります。
朝日局(杉原助左衛門室)、高台院母。京都府高台寺所蔵。wiki
母が育む娘・寧々の“心の土台”とはいずれにしても、ドラマでは今のところ生母・朝日殿は登場しておらず、寧々の母はふく(森口瑤子)のみ。
「豊臣兄弟」の公式サイトでは、以下のように書かれています。
ふく:気は優しいが、どこか頼りないところのある夫を支える世話女房。
「寧々の“心の土台”を育む母・ふくという大役をいただき、身の引き締まる思いです。武家の母として、厳しく、そして温かい家族の絆をお伝えできるよう、精一杯努めてまいります。」
と演じる森口瑤子さんはコメントしています。
“心の土台を育む”とはどのような意味なのでしょう。私見ですが、ふくは、常日頃から侍女をすぐクビにする性格に呆れつつも、 “自我の強い”娘を可愛く思っているような感じがします。
まだ、ふくのキャラクターは不明。けれども、母は娘に、ただ“夫に愛される妻になれ”ではなく、「何があっても正妻としての矜持は保ち、感情をコントロールせよ」とか、大切なのは「妻として幸せになるより “生き残ること”」など、戦国で生き延びる女としての“心の土台”を育んだのかも……と思いました。
史実で伝わる、秀吉の女好き・側室の多さ・残酷さを考えるからそんな想像をしてしまうのかもしれませんが。
弟・秀長とともに豊臣政権を支えた寧々
ドラマの寧々は、気が強そうに見えて、藤吉郎の出陣に落ち込んだり、御前試合で皆が大声援を送っているのに声を出せず俯いたり。まだまだ北政所の姿は想像もできない幼さを感じます。(12歳ですものね)
秀吉は寧々と結婚した後、才能が花開き、順調に出世街道を歩んで行きます。
それとともに、寧々も、百姓の息子から足軽、武士、天下人へと駆け上がっていく男の正室・北政所への階段を登っていくのでした。
一般的に寧々(北政所)というと……
・秀吉の生母・なかを大切にする
・家臣や妻たちにも気配りをして関係の調整を行う
・一族の関係を仲良く保つために尽力する
というイメージがあります。実務の才覚・温厚な性格・冷静さを兼ね備えた弟・秀長と、内側の調整才能があった寧々という二人の存在が、豊臣政権を支え、時に暴走する秀吉のよきストッパーとなっていたのでしょう。
出会った頃は「犬猿」の仲?寧々とまつ
今回、ドラマで初登場となった「利家とまつ」の二人。
正八角形の“尾張コロシアム”(と、NHK公式もそう呼んでいます)で行われた御前試合では、まつは「おみごと!」「さすが旦那様!」などと利家がキメるたびに、ビシッと声援を上げていましたね。
藤吉郎応援団に向かって、フフン!とばかりに挑発的な笑みを浮かべる気の強さがフレッシュでした。
藤吉郎が登場すると、
「旦那様!サルは山へ追い返してください!」まつ
「藤吉郎さん!そんな犬っころに負けたら承知しませんよ!」寧々
猿(秀吉)と犬(犬千代/利家)という“犬猿の仲”の戦いです。黙っていた寧々もカチッ!ときて、言い返すのがよかった。
「ふんっ!」と言い合う子供みたいな二人ですが、史実では寧々&まつは大親友同士だったとか、どんなプロセスを経て仲良くなっていくのでしょうか。
人間的にスケールが大きかったまつ
まつは史実では、天文16年(1547)生まれ。織田氏の家臣・篠原一計の娘として生まれました。
幼い頃父が死去、母は再婚し、まつは利家の父・前田利昌(利春)に育てられたのです。
その後、数えの12歳で利家に嫁いだまつ。寧々とほぼ同じですね。
その翌年に長女を出産後、3年後に長男、翌年は侍女を出産。その10年後に三女、翌年に四女、さらに五女、次男、六女と出産。11歳から32歳までの21年間で11人も子供を設けています。
戦国時代、「多産」はよくあるとはいえ、11人も出産するのは稀有でした。さらに、多産なだけではなく、まつは人間としてスケールが大きく堂々と物申す性格だったそうです。
学問や武芸に長け、戦のときに「金を惜しむから兵が集まらない!」と、まつが蔵から金銀の袋を持ち出し利家の前に投げ出した……という剛気な逸話もあります。
いずれにしても、史実では、秀吉と利家は足軽時代から夫婦ともに仲が良かったそう。近所だったのでまつと寧々は味噌や醤油などを貸し借りする仲だったほど親しかったとか。
そして、利家とまつは、実子のできない秀吉夫妻に、四女・豪姫を授けます。
スケールが大きかったまつ。NH大河「豊臣兄弟」公式サイトより
寧々とまつが仲良かった5つの理由戦国に生きる寧々(北政所)とまつ(芳春院)は“仲が良かった”といっても、現代感覚での「女性同士の仲の良さ」ではないような感じがします。
史実をベースに、「仲の良さ」の理由を5つ推測してみました。
1.身分と環境が近かった寧々は、もとは尾張の土豪層(杉原家)出身で、いわゆる“武家の名門”の出ではありません。そして、秀吉を“下積み時代”から知っています。まつも超名門というより、織田家家臣の妻。夫の出世を横で見続けてきました。
二人とも生まれながらのお姫様ではありません。そんな親近感と、夫の苦労・不安などを身近にずっと見て感じ取ってきたところに、互いに親近感を覚えたのではないでしょうか。
2.「夫」が成り上がりだった秀吉は、百姓出身から天下人へと駆け上がった人、利家も槍一本で評価を勝ち取っていく武将でした。どちらも家柄よりも、本人の実力・運をフルにいかしてきました。
けれども、すぐそばでそれをつぶさに見守っている妻としては、夫が調子に乗ると危ない・失脚したら一気に転落する危険性・明日がどうなるか不安定、そんな不安を内に抱え込んでいたのかも。
「大変よね」……という思いが、言葉に出さなくても通じる関係だったような気がします。
3.性格が似ていて共感できる部分があった史料から伺える二人の性格としては、寧々は、露骨に感情を表に出し過ぎない、人前や表立って秀吉の失態を責めない、政務・人事にも理解が深い感じです。
まつは、利家を立て、加賀藩の家中統制にも積極的に関与、後年は芳春院として政治的影響力も持っていました。
細かい部分は異なりますが、どちらとも「私が私が!と前に出るより、夫を勝たせる」タイプのよう。
それゆえ、お互いに共感し合う関係になりやすかったのではないでしょうか。
4.織田から豊臣への時代を生き残った信長亡き後、清須会議、賤ヶ岳、小牧・長久手、秀吉政権の確立という変化の激しい時代を、夫婦という単位で生き残った二組。
寧々は「天下人の妻」ですし、まつは「その政権に従う有力大名の妻」。
立場こそ違えども、どちらも“政権は不安定なもの”ということを肌身で感じていたのではないでしょうか。
表では立場が違っても、そんな本音を話せる数少ない相手だったのかもしれません。
5.寧々にとって「安全な友人」だった寧々は天下人の正室になってから、側室問題・権力闘争などいろいろな問題を背負うことになり、純粋な友人を持ちにくい立場になったでしょう。
夫の利家は秀吉に忠実で変な野心がないため、妻のまつは安心して付き合える人だったのではないでしょうか。
最後に
ドラマでの「さる&寧々」「いぬっころ&まつ」のバチバチバトルは、ドラマなりの脚本でしょう。
けれども、この先「カッとなりやすい直情型の利家」「お調子もので口からでまかせをいう秀吉」という、ある意味「妻がブレーキをかけないと危ない夫」を抱えていることが、共通している二人。
初回、感情をむき出しにしての煽り合いは、新鮮な寧々とまつ像でした。こんな感じから、この後「お互いに大変よね」というところで連帯感のようなものが生まれていくといいなと。
史実を見るかぎり、まつと寧々は年齢も近く「女子同士気が合った」……というより、同じ時代の荒波を似た立場で耐え抜いた、“戦友”に近い関係だったと思います。
これからそんな二人をドラマではどのような感じで描くのか。“妻”の成長も見どころだと思います。
参考:
「北政所 秀吉歿後の波瀾の半生」津田三郎著
前田利家と妻まつ―「加賀百万石」を築いた二人三脚 中島 道子著
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan


