『豊臣兄弟!』まるで古代ローマ「尾張コロシアム」は実在した?“八角形”にこだわった信長の思想
大河ドラマ『豊臣兄弟!』第5話「噓から出た実」前半では、小牧山城を舞台に御前試合の場面が描かれました。
織田信長(演:小栗旬)の目前で、小一郎(演:仲野太賀)は、兄・藤吉郎(演:池松壮亮)に勝たせようと一計を案じます。相手は藤吉郎のライバル・前田利家(演:大東駿介)。鼻を明かすはずの策もむなしく、試合は藤吉郎の敗北に終わりました。
しかしその結果以上に視聴者の注目を集めたのが、御前試合の会場です。竹で囲まれた正八角形の闘技場は、まるで古代ローマのコロシアムを思わせる造りで、SNSでは「正八角形の尾張コロシアム」と話題になりました。
結論から言えば、この「尾張コロシアム」はドラマ上の創作です。しかし実は、史実において織田信長は“八角形”という形に強いこだわりを持っていました。
本稿では、信長がなぜ八角形に魅せられたのか、その背景にある思想と歴史を紐解いていきます。
※「尾張コロシアム」のシーンで話題になった寧々とまつの犬猿関係に関して、下記記事で解説しています。
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神聖な意味を持っていた八角というカタチ
安土城の天主は現存していませんが、その5階は「八角円堂」であったと考えられています。では、なぜ信長は八角円堂という特別な形を採用したのでしょうか。まずは、「八角形」という形に込められた意味から見ていきましょう。
古代中国には、宇宙空間を八角形で捉える思想がありました。八角の中心には宇宙最高神が存在し、それぞれの角が八方すべてへ通じていることを象徴していました。
この考えに基づき、地上の皇帝が天に政治の成功を報告するための祭壇として「八方壇(はっぽうだん)」が設けられました。皇帝はここで「封禅(ほうぜん)」と呼ばれる国家的な祭祀を行っていたのです。
こうした思想は日本にも伝わりました。7世紀中頃から、天皇(大王)の墳墓が八角形となり、天皇の権威を象徴する高御座(たかみくら)や輿(こし)も八角形になったと考えられています。
さらに、大陸から伝来した仏教が国家を守る信仰として広まると、八角形の形式は寺院建築にも取り入れられるようになります。
天皇家の外戚であった藤原氏は、氏寺である興福寺に八角円堂を建立しました。また、聖徳太子の遺徳をたたえる法隆寺夢殿にも、八角形の建物が採用されています。
このような流れを見ると、八角円堂は特別な身分の人を弔ったり、敬意を表すための建物として用いられてきたことが分かります。つまり、八角円というカタチは「貴人の追善堂」「貴人のための神聖な空間」としての意味を持っていたと考えられるのです。
八角形の競技場はきわめて“信長的”な発想だった臨済宗の僧で、妙心寺第58世を務めた南化玄興(なんか・げんこう)は、『安土山の記』の中で、安土城を儒教・仏教・道教それぞれが説く理想郷になぞらえて称賛し、その話は織田信長を大いに喜ばせたと伝えられています。
玄興によれば、天主の5階に八角形の円堂を持つ安土城は、「宇宙は八角形で成り立っている」とする古代中国の考え方にもとづいて築かれたものでした。そこには、宇宙の創造神とされる梵天王、仏法を守る帝釈天の壮麗な宮殿、そして神仙が住む理想郷・蓬莱山の世界が表現されていたというのです。
では、なぜ信長は天主の一部に八角形という特別な形を取り入れたのでしょうか。そこには、いくつかの理由が考えられます。
一つ目は、奈良の興福寺の影響です。当時の興福寺は、約1万8千坪もの広大な敷地に多くの堂宇が立ち並ぶ大寺院で、僧兵を抱えるほどの軍事力を持ち、大和国を事実上支配していました。
1568年(永禄11年)9月、信長は足利義昭を奉じて京都に入り、義昭を第15代室町将軍に据えます。この義昭は、もともと興福寺一乗院の門主でした。
この縁から、興福寺は信長と同盟関係を結び、その勢力を保ち続けます。信長は平氏を名乗っていましたが、家系をたどると藤原氏につながるともいわれています。藤原氏の氏寺である興福寺には北円堂・南円堂の二つの八角円堂があり、信長がこの建築に影響を受けたとしても不思議ではありません。
もう一つ考えられるのが、イエズス会の宣教師たちからもたらされた西洋の知識です。信長は生涯に60回以上、イエズス会の修道士と会ったといわれています。彼らが、八角形の高い塔を持つローマの大聖堂などの絵を見せていた可能性も十分にあるでしょう。
つまり信長は、安土城を単なる戦のための城ではなく、人々を驚かせ、圧倒する「見せる建築」として築こうとしていたのです。さらにそこには、仏教寺院やキリスト教教会が持つ「神聖な空間」としての意味も重ね合わされていました。
安土城の天主は、戦うための要塞というよりも、壮麗な宮殿であり、祈りの場に近い存在だったのではないでしょうか。それまでの城とはまったく異なる、きわめて独創的な建築、その象徴こそが「八角形」だったのです。
そして「尾張コロシアム」は史料には残らない、ドラマ上での創作です。しかし、もし信長が安土城と同様に「人々の記憶に残る舞台」を作ろうとしたとするならば、あの八角形の競技場は、きわめて“信長的”な発想だったと言えるのではないでしょうか。
※参考文献
Kobe Universty Repository 『信長の霊廟建築としての安土城:八角形の造形とユリウス二世廟からの考察』
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
