『豊臣兄弟!』強い絆で乱世を乗り越えた前田利家・まつの生涯…死後も神として祀られる尾山神社へ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第5回放送「嘘から出た実(まこと)」で颯爽と初登場の前田利家(大東駿介)。槍の又左(またざ)と呼ばれた豪傑で、妻のまつ(菅井友香)と一緒に戦国乱世を乗り越えていきます。
【豊臣兄弟!】織田信長 激怒の大失態…前田利家(大東駿介) 転落から復活までの軌跡藤吉郎秀吉(池松壮亮)や小一郎(仲野太賀)のライバルであり、また終世の盟友であった前田利家は、死後に神様として祀られました。
今回は前田利家を祀る尾山神社(石川県金沢市)に参拝してきたので、夫婦の生涯とともに紹介したいと思います。
前田利家の生涯
利家は天文7年(1539年)12月25日、尾張国で誕生しました。
はじめ小姓として織田信長(小栗旬)に仕え、槍働きを重ねますが、血気に逸って信長の寵臣を殺してしまいます。
しばらく浪人生活を送った後に信長の元へ帰参。再び武功を重ねました。やがて柴田勝家(山口馬木也)の与力として北陸方面の攻略を担当します。
信長の死後は織田政権の権力抗争に巻き込まれ、はじめ柴田勝家に味方したものの、後に羽柴秀吉へ寝返りました。その後は秀吉に従ってその天下一統に尽力し、ついには加賀百万石の祖となったのです。
慶長3年(1598年)に秀吉が衰えると、まだ幼い豊臣秀頼を補佐する五大老(徳川家康・上杉景勝・毛利輝元・前田利家・宇喜多秀家)の一人に抜擢されました。そしていよいよ世を去る秀吉から後事を託されます。
しかし徳川家康の専横を止めることができず、慶長4年(1599年)閏3月3日に62歳で世を去ったのでした。
前田利家の最期に関して、以下の記事で紹介しています。
戦国時代きっての傾奇者!前田利家の最期が壮絶すぎた…「地獄を征服する」と言い放ち切腹したという逸話 まつ(芳春院)の生涯
まつは天文16年(1547年)4月7日、尾張国で誕生しました。
12歳で21歳の利家と結婚し、12歳で長女・幸姫を出産します。以下二男九女という子宝に恵まれ、利家の立身出世を助けました。
織田信長の死後に勃発した賤ヶ岳の合戦(羽柴秀吉と柴田勝家の権力抗争)では、利家に代わって秀吉と和議に尽力したと言います。
慶長4年(1599年)に利家が亡くなると出家して芳春院(ほうしゅんいん)と号しました。翌慶長5年(1600年)に、前田家が徳川家康(松下洸平)から謀叛の言いがかりをつけられた際は、潔白を証明するため自ら人質として江戸に赴きます。
疑いが晴れる慶長19年(1614年)までの15年間を江戸で過ごし、ようやく本拠地の金沢へ戻ってきました。そして元和3年(1617年)7月16日に71歳で世を去ったのです。
亡き夫と一緒に築き上げた加賀百万石を、命懸けで守り抜いた戦国女性の鑑と言えるでしょう。
前田利家&まつを祀る尾山神社の歴史
慶長4年(1599年)に利家が世を去ると間もなく、嫡男の前田利長(としなが)は亡き父の霊を神として祀ろうとしました。
しかし公然と祀ることははばかられたため、まずは金沢城の東に卯辰八幡社(うたつはちまんしゃ)を創建、ここへこっそり父も合祀します。
はじめの御祭神は越中国射水郡の物部八幡宮(富山県高岡市)から勧請した八幡大菩薩と、越中国氷見郡の榊葉神明宮から勧請した天照大御神でした。
それから200年以上の歳月が流れた明治5年(1872年)、堂々と利家を祀ろうという計画が持ち上がります。
そして明治6年(1873年)3月14日に尾山神社が創建され、現在地へ遷座しました。元の卯辰八幡社は明治11年(1878年)に宇多須神社となり、現在に至ります。
尾山神社の主祭神は、はじめ利家のみでしたが、平成10年(1998年)にはまつ(芳春院)も合祀されました。
相殿には前田利長とその養子(利家の庶子)である前田利常(としつね)も祀られ、彼らの遺徳を偲ぶ人々が参拝に訪れています。
終わりに
今回は前田利家・まつ夫婦を神様として祀る尾山神社を紹介しました。
大河ドラマではまだ出会ったばかりで対立していますが、実際には夫婦ぐるみ(利家と秀吉、まつと寧々)で仲良くしていたことが知られています。
『豊臣兄弟!』バチバチの寧々×まつ、史実では大親友だった…今後、敵対から一転する「5つの理由」これから豊臣兄弟のライバルそして盟友として、どんな活躍を魅せてくれるのか、大東俊介&菅井友香の好演に期待しましょう!
※参考文献:
岩沢愿彦『前田利家』(新装)吉川弘文館、1988年10月 小和田哲男 編『戦国の女性たち』河出書房新社、2005年9月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan


