『豊臣兄弟!』なんと勝率9割超!豊臣秀長(小一郎)“負けない弟”の証明となる“全戦歴”完全版

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『豊臣兄弟!』なんと勝率9割超!豊臣秀長(小一郎)“負けない弟”の証明となる“全戦歴”完全版

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、兄・秀吉(池松壮亮)を支える小一郎=豊臣秀長(仲野太賀)。実は秀長は、生涯の戦歴で「勝率9割超」とも言われる名将でした。

「秀長って、いったい何回戦に出て、どこで勝ってきたの?」

ドラマを追うだけだと見えにくい戦場の全体像を、初陣から天下統一まで時系列で一気に整理します。

姉川、三木、鳥取、高松、山崎、賤ヶ岳、小牧・長久手、四国、九州……。

さらに「参戦が確実な合戦/史料が薄い合戦」「勝ちと言い切りにくい戦」も分けて紹介するので、ドラマと史実のズレもスッと把握できるはず。

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箕作城(みつくりじょう)攻め

落合芳幾「太平記英勇傳 佐々木六角丞禎」

永禄11年(1568年)……秀長29歳

場所:近江国(滋賀県東近江市)

結果:勝利

織田信長(小栗旬)が足利義昭(尾上右近)を奉じて上洛する途中、それを妨害した六角氏と交戦しました。

秀吉が夜襲を敢行して武勲を立て、秀長もこれに加わったと考えられています。

金ヶ崎の退口(かねがさきののきぐち)

朝倉義景(画像:Wikipedia)

元亀元年(1570年)……秀長31歳

場所:越前国(福井県敦賀市)

結果:敗北

信長の朝倉攻めに従軍していたところ、盟友であった浅井長政(中島歩)の裏切りで窮地に陥ります。

秀吉は殿軍を志願し、秀長とともに敵の追撃を食い止めて窮地を脱しました。

姉川(あねがわ)の戦い

歌川国輝「兄川大合戦之図(姉川合戦)」

元亀元年(1570年)……秀長31歳

場所:近江国(滋賀県長浜市)

結果:勝利

金ヶ崎で痛い目を見せられた信長が朝倉・浅井両軍に逆襲します。盟友である徳川家康(松下洸平)の活躍もあり勝利しました。

秀吉は浅井氏の重要拠点であった横山城を攻略し、浅井氏を脅かします。秀長もそれに従い奮戦したようです。

小谷城(おだにじょう)攻め

浅井長政(画像:Wikipedia)

天正元年(1573年)……秀長34歳

場所:近江国(滋賀県長浜市)

結果:勝利

浅井氏の本拠地であった小谷城を攻略し、ついに浅井長政を滅亡させました。

ここで秀吉は重要な役割を担い、秀長も参戦したと推定されています。

伊勢長島一揆(いせながしまいっき)鎮圧

歌川芳員「太平記長嶋合戦」

天正2年(1574年)……秀長35歳

場所:伊勢国(三重県桑名市)

結果:勝利

秀吉と別行動をとった秀長は、信長の部将として長島に参陣。一向一揆を壊滅させる戦果を上げました。

秀長は兄のオマケでなく、一人前の大将として認められていたようです。

信貴山城(しぎさんじょう)攻め

月岡芳年「芳年武者无類 弾正忠松永久秀」

天正5年(1577年)……秀長38歳

場所:大和国(奈良県平群町)

結果:勝利

二度にわたり謀叛を起こした松永久秀(竹中直人)を討伐するため、秀吉たちは織田信忠(信長嫡男)に従軍します。

降伏を拒んだ久秀は城に火を放ち、名物「平蜘蛛」茶釜を叩き割って自害しました。

竹田城(たけだじょう)攻め

竹田城(イメージ)

天正5年(1577年)……秀長38歳

場所:但馬国(兵庫県朝来市)

結果:勝利

信長の命により秀吉が中国地方平定に乗り出し、手始めに播磨・但馬国を攻略します。

秀長は毛利氏に与する太田垣氏から竹田城を奪取しました。

三木城(みきじょう)攻め

別所長治(画像:Wikipedia)

天正6~8年(1578~1580年)……秀長39~41歳

場所:播磨国(兵庫県三木市)

結果:勝利

信長に謀叛を起こした別所長治を討伐するため、秀吉が三木城を完全包囲。秀長も一軍を指揮しました。

後世「三木の干殺し」と呼ばれた過酷な兵糧攻めの末に城兵を屈服させます。

鳥取城(とっとりじょう)攻め

吉川経家の銅像(イメージ)

天正9年(1581年)……秀長42歳

場所:因幡国(鳥取県鳥取市)

結果:勝利

秀吉の中国地方平定作戦はまだ続き、毛利の部将・吉川経家が守備する鳥取城を兵糧攻めにしました。

こちらも「鳥取城の渇え(かつえ)殺し」と呼ばれる凄惨なものだったそうです。

備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)攻め

落合芳幾「太平記英勇傳 清水長左衛門宗治」

天正10年(1582年)……秀長43歳

場所:備中国(岡山県岡山市)

結果:勝利

毛利の部将・清水宗治が守備する備中高松城を水攻めにし、城兵の助命と引き換えに自害させました。

本能寺の変(明智光秀の謀叛による信長の横死)があったことを逸早く知った秀吉と秀長は、大急ぎで京都へ帰還します(中国大返し)。

山崎(やまざき)の戦い

歌川芳房「見立十于之内 小栗栖の土 武智道秀(明智光秀)」

天正10年(1582年)……秀長43歳

場所:山城国(京都府大山崎町)

結果:勝利

中国大返しによって逸早く京都へ帰還した秀吉と秀長は、山崎の地で明智光秀(要潤)を撃破しました。

この殊勲により、秀吉は織田政権における立場を強固なものとします。

賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い

柴田勝家とお市の方夫婦。喜多川歌麿筆

天正11年(1583年)……秀長44歳

場所:近江国(滋賀県長浜市)

結果:勝利

織田家における主導権争いから、秀吉は織田家宿老の柴田勝家(山口馬木也)と対立。秀長は本陣を守備し、秀吉の勝利を支援しました。

最終的に勝家は敗死し、織田信孝(信長三男)も自害に追い込まれます。

小牧・長久手(こまき ながくて)の戦い

歌川芳虎「三河英勇傳 従一位右大臣征夷大将軍源家康公」

天正12年(1584年)……秀長45歳

場所:尾張国(愛知県小牧市など)

結果:勝利

織田信雄(信長次男)の要請により、徳川家康が秀吉討伐に挙兵しました。

戦上手の家康に苦戦を強いられますが、秀吉が信雄を調略、外交的に逆転勝利を収めます。

紀州(きしゅう)平定

雑賀衆(イメージ)

天正13年(1585年)……秀長46歳

場所:紀伊国・和泉国(和歌山県と大阪府南西部)

結果:勝利

秀長は副将として雑賀衆・根来衆の討伐に参陣。武力だけでなく、交渉や調略も駆使したと言われます。

平定後は秀長に紀伊・和泉両国が与えられました。

四国平定(長宗我部征伐)

長曾我部の銅像(イメージ)

天正13年(1585年)……秀長46歳

場所:四国地方

結果:勝利

病床にあった秀吉の代理として、10万の軍勢を率いて四国へ乗り込みます。

和睦交渉を一任された秀長は長宗我部元親を降伏させました。

熊野一揆(くまのいっき)鎮圧

熊野一揆を鎮圧(イメージ)

天正13〜17年(1585〜1589年)……秀長46〜50歳

場所:紀伊国(和歌山県)

結果:勝利

秀長の紀伊国統治に反対する土豪らが蜂起(熊野一揆)。その鎮圧に当たります。

九州平定に乗り出すため藤堂高虎(佳久創)に引き継ぎ、最終的に鎮圧しました。

九州平定(島津征伐)

歌川国員「當世武勇傳 柴津少将源義久卿」

天正14〜15年(1586〜1587年)……秀長47〜48歳

場所:九州地方

結果:勝利

秀吉は肥後方面、秀長は日向方面の総大将を務め、島津義久を降伏させます。

元将軍の足利義昭が仲介し、和睦が成立しました。

関東平定(小田原征伐)

北条氏政(画像:Wikipedia)

天正18年(1590年)……秀長51歳

場所:関東地方

結果:勝利

西日本を完全掌握した秀吉は、北条氏政・氏直父子を攻めます。

交戦中に奥州の伊達政宗が降伏したため、北条父子の降伏をもって天下一統が果たされました。

※秀長は病床にあったため、参陣できず。

勝率9割超?秀長の戦歴まとめ 箕作城攻め……勝利(秀長29歳) 金ヶ崎の退口……敗北(秀長31歳) 姉川の戦い……勝利(秀長31歳) 小谷城攻め……勝利(秀長34歳) 長嶋一向一揆……勝利(秀長35歳) 信貴山城攻め……勝利(秀長38歳) 竹田城攻め……勝利(秀長38歳) 三木城攻め……勝利(秀長39歳) 鳥取城攻め……勝利(秀長42歳) 備中高松城攻め……勝利(秀長43歳) 山崎の戦い……勝利(秀長43歳) 賤ヶ岳の戦い……勝利(秀長44歳) 小牧・長久手の戦い……勝利(秀長45歳) 紀州平定……勝利(秀長46歳) 四国平定……勝利(秀長46歳) 熊野一揆……勝利(秀長46〜50歳) 九州平定……勝利(秀長47〜48歳)

※関東平定は参戦できず。

終わりに

今回は秀長の初陣から天下統一まで、その戦歴を紹介してきました。

全17戦中16勝1敗、勝率にして約94.1%……と言いたいところですが、中には秀長が参戦したかはっきりしないもの(小谷城攻めなど)や、勝ったと言えるのか?微妙なもの(小牧・長久手の戦いなど)もあります。

また墨俣の戦い(永禄9・1566年ごろ)や稲葉山城攻め(永禄10・1567年)、石山合戦(天正3〜8・1575〜1580年)に参戦したとも言われますが、良質な史料では秀長の存在を確認できません。

桶狭間の戦い(永禄3・1560年)に参加していたというのは、大河ドラマのフィクションである可能性が濃厚でしょう。

秀長が主導した戦い(竹田城攻め、紀州平定など)では武力だけでなく調略なども駆使したと言われ、硬軟あわせ持った名将として評価されています。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、まだ美濃攻略戦の段階ですが、これからも秀長(小一郎長秀)の活躍が楽しみです。

※参考文献:

柴裕之 監修『豊臣秀長完全ガイド』晋遊舎、2026年2月

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