『豊臣兄弟!』直(白石聖)が救った少女は何者?この悲劇は“刀狩り”の複線か?小一郎の後悔と転機
歴史に「たら・ればなし」といえども。
今回の「豊臣兄弟!」8話『墨俣一夜城』では、いろいろな「もし」が頭に浮かんだ人は多かったようです。
もし、故郷の父に挨拶しに行かなければ。
もし、小一郎(仲野太河)が一緒に行っていれば。
もし、子供を庇わず逃げていれば。
などなど…そうすれば直(白石直)は生きていたのに。
いずれも実現可能だった「もし」ばかりなのが辛い。
故郷の村を出て以来、やっと小一郎は、常に自分のことを「生きて帰れるよう」と心配し続けてきた直の気持ちを理解し、直は「自分が帰る唯一の場所」だと認識。祝言を挙げようとする寸前だったのに。
直が熱病から回復して幸せ溢れる展開になり、ほっと一息したのも束の間。それなのに、急転直下、奈落の底に落とされてしまいました。
ドラマでは、直の死の原因は水不足による「農民同士の戦い」でした。
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【豊臣兄弟!】さよなら直。小一郎が“帰る場所”を失った夜…情緒が揺さぶられた衝撃展開を考察
小一郎の象徴「風車」を持ち帰路につくも、農民同士の争いを目撃した直。NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより
為政者が領地の支配・管理をしていれば…もともと農民だった小一郎は、農作業の苦労は骨身に染みて分かっていたはず。
けれども、侍となり藤吉郎(池松壮亮)や信長(小栗旬)に支え領地争いに没頭する日々を過ごすうち、故郷の農村への関心は薄れていったのでしょう。
義理の兄・弥助(上川周作)も、出世街道を歩み続ける豊臣兄弟と一緒に過ごすうち、無自覚ながらどこか“為政者視線”になっていた気がします。
前回、書いた『【豊臣兄弟!】さよなら直。小一郎が“帰る場所”を…』の記事では、それが「直の死を招いた」ことに触れました。
領地争いに励む戦国武将や家臣も、その腹を満たし命を紡いでいるのは「米」。その米を作るため、必要不可欠なのが天の恵みである「水」。
日照り続きで水が枯渇すれば、それを奪い取るか守るかで当然、壮絶紛争が起こります。
もし、この村の為政者が領地の支配や管理に目を向け、水の奪い合いを防いでいてくれたなら。
直は殺されることなく、豊臣の家族が待つ家に戻り、祝言を挙げれていたでしょう。
農民の死活問題を「そんな小さきこと」と一蹴した弥助室町時代から戦国時代といわれる1481年〜1601年の120年間、冷夏や干ばつによる飢饉は数年おきに24回ほど発生したそうです。
その中には1566年も含まれています。
8話の主役・墨俣一夜城があったとされるのは、永禄4年(1561)もしくは永禄9年(1566)頃。ドラマでは、ちょうど干ばつの真っ只中だったのでしょう。
戦国時代というと武将の活躍や合戦がよく取り上げられますが、その裏で最も苦しい生活を強いられていたのは農民でした。
直が故郷の村に戻り、父親・坂井喜左衛門(大倉孝二)に会っている間、お供で付き添った弥助は、小一郎とも友人だった玄太(高尾悠希)とおしゃべりをしていました。
玄太は弥助から、農民だった小一郎と藤吉郎が村を出てから侍になり活躍していること、織田信長(小栗旬)の元で出世したことを聞きます。
玄太は、「藤吉郎たちはそんなに偉くなったのか」といい「じゃったらなんとかしてほしい!ここのところ日照り続きで、あちこちで水の取り合いで争い続き。このままではまた不作だ」と頼みました。
けれども、その友人の頼みに対し、弥助は……
「あいつら、今美濃攻めの真っ最中じゃ。こんな小さきことにはかまってられんわ!」と。
「わしらにとっては生きるか死ぬかじゃ!」と返す玄太の声には怒りがこもっていました。(一視聴者の自分も怒りを覚えました)
「小さきことだと!?お前も、藤吉郎も、小一郎も、この村の農民だったのに、侍になり生活が豊かになったら、そんなことも忘れたのか!」という怒りだったでしょう。
豊臣兄弟の姉・ともの夫、弥助。NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより
「米を作る百姓」を守ってくれない為政者への怒り思い出されるのは2話『願いの鐘』。
野盗や野武士に次々と村が襲われ、多くの村人が殺されていました。その時、小屋に身を潜めて助かった小一郎と直は、静まった村の中の様子を見にいきます。
そこには、田んぼの側で泣き叫ぶ玄太の姿が。もう一人の友人・新吉(若林時英)が無惨にも殺され、その亡骸を抱きしめていたのです。
新吉は、苗を植えたばかりの田んぼを荒らされまいとして野武士に殺さました。
「なんなんじゃ、これは。わしらが何をした!!」と、斬り落とされた新吉の首を抱き絶叫する小一郎。
「信長も信長じゃ…偉そうなこと言うて、わしらのことを守ってはくれんじゃないか!わしらが米を作らなにゃ生きていけんくせに…」
と天を仰ぎ絶叫する小一郎。
領地争いに明け暮れる武将らが生きるための米を作っているのは農民。その農民を守らない為政者への理不尽さ・悔しさ・怒りが、小一郎を下剋上へと駆り立てたのでした。
野武士に斬り落とされた友人の首を抱き、絶叫する小一郎。NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより
けれども、侍になって手柄をあげ、広い屋敷に住み、上質になった着物を着て、柔らかい布団に寝て、腹一杯米もおかずも食べれる生活になった小一郎。
衣食住が満ち足りれば、今までの侍に対する怒りなど煙散霧消となってしまうのも無理はありません。
日々領地争いで勝つことを考え、時には命懸けで信長に仕えているうちに、農民だった頃の血を吐くような怒りは、自然と薄らいでしまったのかも。
さらに、そんな豊臣兄弟とともに暮らしている弥助も影響されていったのでしょう。
いつのまにか、彼らの社会への視線は、自然に為政者(支配者)サイドになっていたようです。
友人・玄太が訴える村の惨状を「こんな『小さきこと』にはかまってられんわ!」と言う弥助に、そんな感じがしました。(これも、その後の悲劇の伏線でしたね)
弥助も、まさかその「小さきいこと」が、直の命を奪うことになるとは思いもしなかったでしょう。
戦国大名による治水対策「豊臣兄弟!」のドラマでは、兄弟の故郷の為政者は、干ばつによる争いが百姓間で頻繁に起こっている実情に興味を持たなかったためか、統治の仕組みが機能していなかったようです。
『水論』といわれる灌漑用水の田への分配(分水)をめぐる紛争は、当事者の百姓同士で揉めごとを収めることが難しかったため、その地域の支配者層が解決するべく乗り出す必要があったそう。
たとえば、戦国時代、越前で村同士の間で「水論」が発生したときには、戦国大名・朝倉氏の奉行人が解決に乗り出し、それでももめる場合は一乗谷の朝倉氏の元へ訴え出るよう申し付けたそう。
また、武田信玄や上杉謙信などは、治水事業を積極的に行なった武将として知られていますが、信長は軍事や政治改革、土木技術に優れていたことで知られているものの、渇水対策や農民間の水争いを解決するための策に積極的に取り組んだ記録は残っていないようです。
ちなみに豊臣秀吉は、大阪城の築城で、周辺地域の新田開発と洪水防御のために、淀川に太閤堤や文禄堤等を築き淀川の流路を固定させたり、そのほかの治水事業に携わっていました。
直の死がのちの「刀狩り」に繋がる!?
「武将らが領地争いを繰り広げる中、豊臣兄弟の故郷では農民たちの水をめぐる諍いが深刻化。もし、為政者の統治機能が働いていたら、直の悲劇的な死は避けることができたのでは」
SNSやネットの考察記事では、そんな考察がされていました。
為政者が武装百姓同士の衝突を収められなかったことを指摘する声、信長の直管領ではないにしても直属の領主(家臣)の力の無さを指摘する声も。
いずれにしても、出世街道を歩み始めた藤吉郎と小一郎も関心は薄くなっていたことでしょう。
この直の非業の死により、そのことに気が付かされ、問題を直視するときがくるのかもしれません。
▪️直が命がけで救った「農民の少女」は何者か?今後の何かの伏線なのか!?
▪️この時の後悔が、のちの秀吉の「刀狩り」に繋がるのでは!?
と、いう声も見かけます。
小一郎は、あれほど嘆いた農民生活の辛さを忘れ、何の手を打つこともしなかったまま、直を死なせてしまった……という後悔をずっと心の中に抱えていくのではないでしょうか。
それが、これから戦場で戦うことだけではなく、「領民の生活を守ること」を考えるようになっていくのかもしれません。
小一郎は、安藤守就(田中哲司)と対峙した時、「美濃に寝返ってもかまいませぬ。それで皆がよき暮らしができるようになるのなら。願ってもないこと…」と言ってのけましたね。(兄ならそう言うだろうとして)
安藤守就に言った言葉を忘れないでほしい。NH大河「豊臣兄弟!」公式サイトより
みなさんの予測通り、この後悔が、約20年後の「百姓が、刀・脇差・弓・槍・鉄砲、その他武具類を所持することを禁ずる」刀狩令(天正16/1588年)に繋がる脚本になるのかも。
直の無念の死が薄れて消えることなく、たとえ正室を迎えようとも(気持ち的に複雑ですが)、民の生活改善に活かされるよう描かれていくのか……この先を見守りたいと思います。
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