小一郎と藤吉郎は実兄弟なのか?『豊臣兄弟!』では描かれない2人の少年時代の謎に迫る
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の物語も1/6(全48回中8回)が終わり、これからますます盛り上がっていくことでしょう。
※直(白石聖)ロスからの立ち直りが成否のカギとなりそうです。
『豊臣兄弟!』直(白石聖)が救った少女は何者?この悲劇は“刀狩り”の複線か?小一郎の後悔と転機さて、小一郎(仲野太賀)や藤吉郎秀吉(池松壮亮)たちの少年時代について、本作ではあまり描かれていません。
今回は二人の少年時代について紹介。今後回想されることはあるのでしょうか。
母なか(坂井真紀)は宮女だった?
坂井真紀演じる母なか。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
『関白任官記』という文献によると、兄弟の母親であるなか(坂井真紀)は、かつて宮中に仕えていたと言います。
やがて懐妊すると尾張へ帰郷し、藤吉郎を生みました。父親はやんごとなき貴族か、それとも……。
これが秀吉「落胤説」の根拠ですが、これが事実なら、姉とも(宮澤エマ)を生んでから宮中に仕えたことになります。
尾張中村から、わざわざ経産婦を呼び出すという状況は、ちょっと不自然ではないでしょうか。
『豊臣兄弟!』史実とドラマから戦国最強の肝っ玉母ちゃん・なか(坂井真紀)の人物像と生涯を考察 父・弥右衛門(小林顕作)は武士だった?
よく「百姓の小倅」などと呼ばれる秀吉たち。しかし父親の木下弥右衛門(小林顕作)は、苗字を名乗っているように武士だったと言われています。
弥右衛門の叔母たちは青木家や福島家など苗字を名乗れる家へ嫁いでおり、家格が釣り合う≒下級武士だったのでしょう。
一説には尾張守護代の織田大和守家に仕える在地被官だったとも言われます。
ただし「苗字は武士しか名乗れない」いわゆる「苗字帯刀」制度が確立したのは江戸時代であり、百姓であっても苗字を名乗っていた可能性は否定できません。
小一郎と藤吉郎は実兄弟?これまで、姉ともと藤吉郎は弥右衛門の子、小一郎と妹あさひ(倉沢杏奈)は継父である竹阿弥(ちくあみ)の子と言われてきました。
※母親は4人とも同じ大政所(なか)です。
しかし近年では研究の結果、4人とも木下弥右衛門の子であると言われるようになりました。
弥右衛門が出家して竹阿弥と名乗った、つまり弥右衛門と竹阿弥は同一人物だと言うのです。
今回の「豊臣兄弟!」でも、その説が採用されていましたね。
小一郎と藤吉郎。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK。
故郷の中村は極貧だった?『武功夜話』によると、中村を支配していたのは深田城主・織田右衛門(うゑもん)なる者でした。
右衛門はあまりに過酷な年貢を課したため、耐えかねた領民20数世帯が一気に逃散します。
※逃散(ちょうさん):村から逃げ出すことで領主に抗議する、ボイコットの一種。
それでも右衛門は当初の通りに年貢を課したことから、中村は特に貧しくなってしまったそうです。
小一郎は7歳で藤吉郎と生き別れに弥右衛門を喪ったことで、一気に困窮した藤吉郎一家。まだ10歳だった藤吉郎は口減らしのために生家を離れ、豪農の家で奉公しました。
異説としては継父の竹阿弥から虐待されて飛び出したなどとも言われます。
劇中では「坂井喜左衛門(大倉孝二)の側室と駆け落ちし、仏画を盗んだ」設定になっていましたね。
小一郎は当時7歳、兄と生き別れて心細かったのではないでしょうか。
終わりに今回は小一郎と藤吉郎の少年時代について紹介してきました。
秀吉が天下を獲ったから、その後づけとして様々な伝説が生み出され、後世の私たちに印象づけられています。
果たして実際の小一郎と藤吉郎は、どんな少年時代を過ごしていたのでしょうか。今後の解明がまたれます。
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