【豊臣兄弟!】“架空”の直(白石聖)には実在モデルがいた!?史料『太閤素生記』が伝えるもう一人の女性
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、多くの視聴者の心を揺さぶった人物の一人が、豊臣秀長(小一郎/演:仲野太賀)の恋人・直(演:白石聖)でした。
彼女の突然の死は大きな反響を呼び、いまも「直ロス」と呼ばれる余韻を残しています。
『豊臣兄弟!』直(白石聖)が救った少女は何者?この悲劇は“刀狩り”の伏線か?小一郎の後悔と転機しかし、この直という女性は、実際の歴史史料には登場しない“架空の人物”とされています。
ところが、豊臣秀吉(演:池松壮亮)の若き日を伝える史料を読み解いていくと、直の存在を思わせる一人の女性が浮かび上がってきます。その女性は、秀吉の伝記『太閤素生記』を書いた旗本・土屋友貞の養母です。
では、土屋友貞の養母とはどのような人物なのか、また、彼女が秀吉の伝記誕生にどのように関わっていたのか。
今回は、「直のモデルは実在したのか」という視点から、『太閤素生記』の成立背景と、そこに見える一人の女性の存在を紐解いていきます。
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直は本当に「完全な架空人物」なのか
尾張国・中中村を支配する土豪・坂井氏の娘として描かれた直。
彼女は若き日の豊臣秀長(小一郎)を支える存在として、物語に温かな彩りを与えましたが、その人生は決して平穏なものではありませんでした。
小一郎とともに駆け落ち同然に村を出た直は、父・坂井喜左衛門(演:大倉孝二)から結婚の許しを得るため中中村へ戻ります。しかしその帰路、農民たちの水争いに巻き込まれ、非業の死を遂げてしまいました。
直が消えたことで、視聴者の間には「直ロス」とも呼べる喪失感が広がっています。ただし、この直という女性は、実際の歴史史料には登場しません。あくまでドラマの中で創作された人物なのです。
ところが、江戸初期に成立した豊臣秀吉の伝記『太閤素生記』の成立事情を探っていくと、生まれや境遇が直に似た女性の存在が浮かび上がってくるのです。
秀吉の伝記『太閤素生記』と語り手たち『太閤素生記』の著者・土屋友貞は、徳川秀忠・家光に仕えた旗本であり、同書には他の史料には見られない、秀吉の前半生について多くの逸話を記しています。
同書は秀吉の死後、数十年を経て成立したものですが、秀吉の若き日を比較的詳しく伝える史料として、研究者の間でもしばしば言及されてきました。
友貞は『太閤素生記』を著すにあたり、親族からの伝聞という形をとっています。その情報源の一人が、父の土屋円都(えんいち)でした。
円都は幼少期に失明したとされますが、それでも甲斐の武田信虎、駿河で人質生活を送っていた徳川家康、さらに今川氏真、北条氏政といった戦国大名に近侍しました。
秀吉による小田原征伐で北条氏が滅ぶと、円都は再び家康に出仕します。家康は、武田・今川・北条という大名の側近くに仕えた円都を重用し、盲人の最高位とされる総検校に任じました。
おそらく円都は、権力者の側にいることで膨大な情報を耳にしており、秀吉や秀長についても多くの話を知っていたと考えられるのです。
秀吉の少年時代を知る女性の存在さらに注目したいのが、『太閤素生記』の背後には、円都だけではなく、秀吉の若き日を知る女性の存在があった可能性が指摘されていることです。
それが、友貞の養母で、円都の後妻とも考えられる女性でした。
彼女は尾張国中中村で、織田家の代官を務めていた稲熊助右衛門の娘だったと伝えられています。助右衛門は、織田信長から弓を預かる役目を担っていた人物であり、その娘である友貞の養母は、秀吉とほぼ同年代だったとされています。
中中村といえば、豊臣秀吉とその弟秀長が生まれ育った土地です。すなわち稲熊家は、秀吉兄弟の少年時代と、地理的にも社会的にも非常に近い位置にあった家だったのです。
後年、彼女は秀吉や秀長の中中村時代について、ことあるごとに語っていたともいわれています。
ここで、ある共通点に気づかされます。
『豊臣兄弟!』で、中中村の土豪として登場する坂井喜左衛門とその娘・直。そして、中中村の代官・稲熊助右衛門と、その娘である友貞の養母。
両者の姿には、どこか重なり合うものが見えてくるのです。
「直の父」坂井喜左衛門の実像一方、『豊臣兄弟!』において直の父として登場する坂井喜左衛門については、史料を確認すると、ドラマとは少し異なる姿が見えてきます。
喜左衛門は尾張の守山城主であり、信長の叔父でもある織田信次の家臣として活動していた人物でした。史料には、守山城の寄合衆を務めたとの記録も残っています。
【豊臣兄弟!】直(白石聖)はどうなる?実在した?妻と娘の心を盗まれた坂井喜左衛門(大倉孝二)の生涯もちろん守山城は尾張国内であり、中中村からそれほど遠い場所ではありません。しかし、喜左衛門が「中中村の土豪」であったとする確実な史料は確認されていません。むしろ守山城周辺で活動していた人物と考える方が自然でしょう。
つまり、ドラマに登場する「中中村の娘・直」という設定は、史実をそのまま反映したものではなく、物語上の脚色でした。
そうなると、あらためて気になってくるのが、当時の中中村で実際に影響力を持っていた人物は誰だったのか、という点です。そこで浮かび上がってくるのが、稲熊助右衛門という人物なのです。
秀吉と同時代を生きた「もう一人の女性」稲熊助右衛門は、中中村の代官として土地を治めていたとされ、地域社会でも一定の影響力を持つ存在でした。秀吉や秀長が少年期を過ごした環境の中で、実際に接点があったと考えられるのは稲熊家の人々だったのです。
そして、この助右衛門の娘こそが、後に『太閤素生記』の著者・土屋友貞の養母になった人物でした。つまり、秀吉の少年時代と地理的に近い場所に生まれた女性が、のちに秀吉伝を書いた人物の養母となっていたのです。
彼女は秀吉・秀長と同じ時代の中中村に生きた人物であり、その記憶が養子である友貞へと語り継がれていきました。そして、そこから生まれたのが『太閤素生記』という書物だったのです。
さらに、もう一人、若き日の秀吉と実際に会っていた人物が存在していました。
それが、友貞にとっては祖母にあたるキサという女性でした。では、この祖母はどのような人物だったのでしょうか。
16歳の秀吉と会っていた友貞の祖母若き日の秀吉と会ったことがあると伝えられているキサ。伝承によれば、そのとき秀吉はまだ16歳ほどの若者だったといいます。
もちろん、この逸話を裏付ける同時代史料は残っていません。しかし、秀吉の若年期に関する口伝が、特定の家族の中で語り継がれていた可能性は十分に考えられるでしょう。
そして特に興味深いことがこのキサの出自で、遠江の武将で引馬(後の浜松)城主・飯尾連龍の娘であったのです。
『太閤素生記』によると、「引馬城主・飯尾連龍は今川家の家臣で、さらに近くの久能という小城の城主は松下加兵衛といい、どちらも今川の家臣だった」とあります。そして、久能城主の松下加兵衛こそが、秀吉が最初に仕えた人物でした。
とすると、16歳で故郷を出た秀吉は、キサの縁により加兵衛に仕えたということも否定できないのではないでしょうか。
ここで、あらためて『豊臣兄弟!』に登場した直を思い出してみましょう。中中村に生まれ、秀吉・秀長の若き日を知る女性。
直は、ドラマではその人生は悲劇的な結末を迎えましたが、もし中中村で秀吉兄弟と同じ時代を生きた女性が実際に存在していたとすれば、その姿はまったくの空想から生まれたものとは言い切れないのではないでしょうか。
もちろん、直が稲熊助右衛門の娘であり、後に土屋友貞の養母となった女性その人であったと断定できる史料はどこにも存在しません。
ここで述べてきたのは、あくまで史料の断片をつなぎ合わせて見えてくる一つの可能性にすぎません。
しかし、『太閤素生記』という秀吉初期の伝承を伝える史料の背後には、若き日の秀吉を実際に知る女性たちの記憶があったとしたら……。
もしかすると、『豊臣兄弟!』で描かれた直という人物もまた、尾張中中村の片隅で秀吉と秀長を見ていた女性の面影を、どこかに宿しているのかもしれません。
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