戦国時代、織田信長の「比叡山焼き討ち」本当の理由は宗教弾圧ではなく“脱税の摘発”だった!? (2/4ページ)
延暦寺と密接な関係にある日吉大社は、延暦寺に納められた米を元手に私出挙と呼ばれる高利貸しを行っていました。これが、中世の貨幣経済の発展とともに本格的な貸金業へと進化していたのです。
当時は京都の土倉の八割が日吉大社系だったとされ、延暦寺は全国の金融ネットワークを支配していました。
それに加えて利息は年四〜七パーセントと非常に高く、債務不履行も多発。そして借金のカタに田んぼを奪い取るというえげつなさでした。
こうして借金のカタに取られた田は京都周辺に点在しており、日吉町と呼ばれる地域が生まれたほどです。
このように、比叡山延暦寺を代表格として、当時の寺社は免税特権を背景に土地と金融の両面で莫大な利益を得ていました。
国家が税を集められない一方で、寺社は税を払わずに富を蓄積し続けたのです。こうした構造は、武家政権にとっても看過できない問題でした。
宗教弾圧ではなく経済改革ここまで読めばもうお判りでしょう。この巨大な経済勢力を解体したのが織田信長だったのです。