「乞食」は卑しい言葉じゃなかった?仏教が由来の意外すぎる本来の意味とは
「乞食」や「正体」という言葉に、もともと仏教由来の意味があったことをご存じでしょうか。
いまではあまり良い印象で使われない言葉や、日常で何気なく口にしている言葉の中には、もともとはまったく違う意味を持っていたものがあります。しかもその多くは、仏教の教えや修行、信仰の考え方と深く結びついていました。
意味を知ると、普段の言葉の見え方が少し変わってくるかもしれません。
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語源はサンスクリット語の「ピンダパータ(Pindapata)」の訳語で、仏教用語では「こつじき」と読みます。修行僧が自らの欲望を捨て、修行に専念するために、民家を回って食べ物を恵んでもらう行為を指しました。これは僧侶だけではなく、施しをする側にも「徳を積ませる」ことになるため、お互いのための崇高な修行と考えられていました。
平安時代から鎌倉時代にかけて、この修行の形態が一般化するにつれ、読み方がこつじきから「こじき」へとなり、当初は「高徳な僧侶が行う尊い行為」だったものが、時代の変化とともに、生活に困窮して食べ物を乞う意味に変化していったようです。
ちなみにこの時代に僧侶が行なった、よく似た行為に「勧進」があります。
勧進は、寺院の建立や仏像の修繕など、公共・宗教的な目的のために寄付を募る行為。全国を回って門戸を叩き、人々にお布施をしてもらうことは同じものの、こつじきは自分の修行のため、勧進は世の平穏のためと、目的が異なります。
正体とは正体というと、「隠されている本性」を指す言葉として捉えている方が多いと思います。
しかしもともとは仏教の言葉で、「真実のありのままの姿」を指しました。発音も「しょうだい」や「しょうてい」と読まれ、迷いや飾りを取り払った、悟りの境地にある本質的な姿のことです。
また御正体というと、「仏教の仏が日本に合わせた仮の姿であらわれたものが神道の神であるという(「本地垂迹」)」の考えも指します。
日本には古くから固有の宗教として神々を祭る神道が存在していました。6世紀の半ばに仏教が布教されて外来の仏を受け入れていく過程で、「神と仏とは本来一体のものである(「神仏習合」)」という教義が生まれ、ご神体である鏡や、鏡を模した板に仏の姿を描いて礼拝の対象としたのが「御正体」です。
また武術においては、「せいたい」と発し、体の構えが正しく、どこにも隙がない状態を指します。相手に対して真っ直ぐに向き合い、心身ともに整っていること。ここから転じて「しっかりとした様子」や「正気であること」を意味するようになりました。
世俗的に「その人の持つ隠されている本性」を指す言葉として広まったのは江戸時代と言われています。
木魚の歴史木魚は寺には欠かせない道具ですが、なぜ魚なのか不思議に思ったことはありませんか?
木魚の始まりは中国の唐時代にまでさかのぼると言われています。
魚は1日を通して目を閉じることがないので「その姿を見習って居眠りせず修行に励むように」という戒めの意味があるといわれています。
魚は鯉を模したという説もあり、滝を登り竜に化ける伝説があることから、修行僧を見守るとされ、中国では古くから信仰の対象でした。この縁起により、木魚が魚の形になったとのことです。
日本へは鎌倉時代に禅宗とともに伝えられました。その後江戸時代になって中国の高僧、隠元禅師が黄檗宗と木魚を伝えたと言われています。
木魚の原型には「魚版」という仏具があります。これは魚が真っすぐに体を伸ばした形で、完全な魚の形ではありません。側面にある丸い模様を木槌で叩き、行事や法要の時間を僧侶に知らせていました。
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