次回『豊臣兄弟!』で描かれる「本圀寺の変」とは?三好三人衆の逆襲…足利義昭はどうなるのか

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次回『豊臣兄弟!』で描かれる「本圀寺の変」とは?三好三人衆の逆襲…足利義昭はどうなるのか

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第10回放送「信長上洛」では、織田信長(小栗旬)が足利義昭(尾上右近)を奉じて上洛。その野心を天下布武(畿内制圧)から天下一統(全国制服)へと進化させる様子が描かれました。

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その一方で、信長に京を追われた三好三人衆(岩成友通・三好宗渭・三好長逸)はこのまま引き下がった訳ではありません。

信長に担がれた将軍など認めない……という訳で、義昭の拠点であった本圀寺(ほんこくじ)を襲撃したのです。

これがいわゆる本圀寺の変。第11回放送のサブタイトルにもなっていますね。

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今回はこの本圀寺の変について、予習して参りましょう。

信長のいぬ間に……

左から三好⻑逸(中野英樹)・三好宗渭(奥田洋平)・石成友通(阿部亮平)。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

永禄11年(1568年)10月に上洛を果たした信長は、わずかな手勢を残して10月26日に岐阜へ帰国しました。

その理由には諸説あり、兵糧が欠乏していたなどが考えられています。

信長さえいなければ、義昭など恐るに足りません。信長との決戦を避け、兵力を温存していた三好三人衆は阿波国(徳島県)はじめ四国各地の兵を掻き集めました。

この動きを察知した義昭も備えを固めていましたが、12月24日に松永久秀(竹中直人)が大和国(奈良県)を離れ、岐阜へと向かいます。

信長に新年の祝辞を述べるためと考えられますが、これにより京都の守りが薄くなってしまいました。

この好機を逃すまじと三好三人衆は挙兵。海を渡って12月28日には和泉国(大阪府南西部)の家原城を攻め落とします。

年が明けて永禄12年(1569年)1月4日、三好三人衆は将軍地蔵山や東山を焼き討ちにし、義昭の退路を断ちました。

そして翌1月5日には洛中へ突入。義昭がいる本圀寺へ攻めかかったのです。

義昭危うし!

尾上右近演じる足利義昭。烏帽子が長い。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

『足利季世記』によると、三好三人衆の率いる兵数は一万余人、その中にはかつて国を追われた者たちも加わっていました。

美濃の斎藤竜興(濱田龍臣)、信濃の小笠原貞慶(おがさわら さだよし)、摂津の入江元秀(いりえ もとひで)など。『信長公記』によると、先陣を薬師寺貞春(やくしじ さだはる)が務めています。

襲撃を受けた義昭らは明智光秀(要潤)らわずかな近臣たちと本圀寺に立て篭もり、死に物狂いで防戦しました。

『上杉家文書』や『吉川家文書』によると、義昭は自ら馬に騎乗して指揮をとり、敵に斬りかかってことごとく討ち果たしたと言います。

何かと軟弱で陰湿なキャラに設定されがちな義昭ですが、意外と将器を備えていたのかも知れませんね。

そうこうして翌1月6日には三好義継(よしつぐ)や細川藤孝(亀田佳明)、和田惟政(玉置孝匡)や荒木村重(トータス松本)らが援軍に駆けつけ、三好三人衆らを挟み撃ちにします。

激しい戦闘の結果(兵力温存のため戦わずに逃げた説も)、三好三人衆らは敗退。残兵を集めて阿波国へと退却しました。

この戦闘による被害は双方で800余(『細川両家記』)から1,000余(『言継卿記』)、また2,700余(『足利季世記』)や数千(『永禄記』)とも言われています。

カウントの基準や現場の見方によって、数が大きく変わるのは興味深いですね。

信長と久秀が駆けつける

竹中直人演じる松永久秀。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

1月10日になると、急報を聞いた信長が大雪の中、わずか十数騎を率いて駆けつけました。

忠義に厚かったのか、それとも「今お前に死なれては困る」という利己的な動機かは分かりません。

また同日に久秀も駆けつけ、義昭の無事を喜んだことでしょう。

信長はただちに三好三人衆の邸宅を破壊し、また彼らに協力した堺の町衆を攻め立てました。

1月12日になると、近江・若狭・丹波・摂津・河内・和泉・山城など各地から諸侍が参集。総勢80,000人にも及んだそうです。

こうなればもう安心。再び取り戻された平穏に、人々はした安堵したことでしょう。

本圀寺の変まとめ

第11回放送「本圀寺の変」。味方同士であるはずの秀吉と久秀が睨みあっている?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

上洛後、信長が岐阜に帰った隙を狙って三好三人衆が逆襲。義昭らの奮戦により返り討ちにしました……というのが、本圀寺の変におけるあらましです。

もしここで義昭が討たれていたら、信長の威信は失墜していたことでしょう。

また後継者の定まらない室町幕府についても、寿命が早まっていたかも知れません。

そう考えると、本圀寺の変は歴史の大きな転換点だったと考えられます。

戦闘にこそ間に合わなかったものの、大雪の中を駆けつけた信長は無双の忠と謳われ、義昭政権において大きな影響力を持つに至りました。やがてそれが義昭と信長の対立を生むことになります。

果たして「豊臣兄弟!」では本圀寺の変をどのように描くのか、恐らく現場に立ち会うであろう小一郎(仲野太賀)たちの活躍にも期待しましょう!

※参考文献:

天野忠幸『三好一族―戦国最初の「天下人」』中央公論新社、2021年10月 福島克彦『戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦』吉川弘文館、2009年6月 山田康弘『足利義輝・義昭 天下諸侍、御主に候』ミネルヴァ書房、2019年12月

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