【豊臣兄弟!】松永久秀との因縁、織田信長に最後まで抗った三好三人衆・石成友通の壮絶な最期

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【豊臣兄弟!】松永久秀との因縁、織田信長に最後まで抗った三好三人衆・石成友通の壮絶な最期

近畿で大きな勢力を誇った三好氏。その中でも石成友通(阿部亮平)は、三好三人衆の一人として信長の上洛に立ちはだかり、松永久秀とも激しく争った重要人物です。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」3月22日(日)放送予定の第11回「本圀寺(ほんこくじ)の変」では、キーマンのひとりとして描かれることでしょう。

「名前は出てきたけれど、結局どんな人物なのか分かりにくい」――そんな視聴者も多いかもしれません。しかし石成友通の動きを追うと、信長上洛前後の畿内がどれほど複雑で、どれほど激しく揺れていたかが見えてきます。

三好政権を支え、久秀と争い、時に信長に従い、そして再び反旗を翻す――その生涯は、まさに戦国の畿内そのものを映すような波乱に満ちています。

今回はそんな石成友通の生涯と見どころを、ドラマの展開も踏まえながらたどっていきましょう。

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三好長慶に仕える

三好長慶(画像:Wikipedia)

石成友通は生年不詳、出自についても詳しいことは分かっていません。

出身地についても諸説あり、例えば『史略名称訓義』では、備後国岩成荘の住人・岩成蔵人正辰(くらんどまさとき)の子とされています。

元服して主税助(ちからのすけ)と名乗り、はじめは京都郊外の西九条で下司を務めました。

その才覚が認められたのか、やがて三好長慶(ちょうけい/ながよし)に仕えます。

友通の名が歴史上に現れたのは天文19年(1550年)、訴訟を担当したり茶会に列席したり、長慶の奉行衆として頭角を現していきました。

天文22年(1553年)には丹波数掛山城に立て籠る波多野秀親(はたの ひでちか)の攻略に参陣します。

しかし香西元成(こうざい もとなり)や三好宗渭(奥田洋平)らの奇襲を受けて敗退しました。最初から三人衆がそろって仲間ではなかったのですね。

一時は討死したとの噂も流れましたが、永禄元年(1558年)には北白川の合戦に参陣。この時に三好宗渭が寝返り、仲間となりました。

その後も永禄2年(1559年)に大和国の筒井順慶(つつい じゅんけい)を攻め、永禄5年(1562年)には第13代将軍・足利義輝の警護を務めるなど、着実に軍歴を重ねます。

久秀との因縁、信長との対立

松永久秀(画像:Wikipedia)

永禄7年(1564年)に長慶が世を去ると、三好三人衆の一人として、家督を継いだ三好義継(よしつぐ)を補佐しました。

そして永禄8年(1565年)には足利義輝を殺害し(永禄の変)、畿内の主導権をめぐり松永久秀や畠山高政(はたけやま たかまさ)らと抗争を繰り広げます。

永禄9年(1566年)には久秀に与していた勝竜寺城を攻略、永禄10年(1567年)になると久秀を攻めるため大和国へ乗り込みました。

しかし奇襲を受けて敗北。この時に本陣をしいていた東大寺(奈良の大仏)が炎上してしまいます。大仏を焼いたのは久秀か、それとも三好三人衆かははっきりしません。

永禄11年(1568年)に織田信長が足利義昭(尾上右近)を奉じて上洛すると、三好三人衆はそれまで敵対していた六角承禎(ろっかく じょうてい)らと組んで激しく抵抗しました。

盟友たちが次々と逃亡または降伏(兵力温存のためとも言われる)、そんな中で友通と池田勝正(いけだ かつまさ)だけは頑強に抵抗したそうです。

それでも9月29日には勝竜寺城を放棄、三好家の本国である阿波国(徳島県)へと退却。信長の上洛を許すことになりました。

本圀寺の変後、信長に仕えるが……

石成友通(画像:Wikipedia)

しかしこれは兵力温存を意図した戦略的撤退であり、上洛を果たした信長が岐阜へ帰国すると、反撃のために四国各地の兵を掻き集めます。

続いて、信長に臣従した松永久秀が挨拶のために大和国を離れると、いよいよ挙兵して足利義昭を襲撃しました(本圀寺の変)。

果たして信長や久秀の援軍は間に合わなかったものの、三好義継らが援軍に駆けつけたことから、あえなく撃退されてしまいます。

再び阿波国へと引き揚げて機会をうかがい続けましたが、元亀3年(1572年)に織田へ寝返り、信長の臣下となりました。

友通は信長に忠義を尽くしたことから山城淀城(淀古城)を与えられ、信長から「表裏なき仁」と評されるなど、信頼関係を築いたようです。

しかし義昭が信長と対立、全国各地の諸大名に信長討伐を命じると、友通もこれに応じて叛旗をひるがえしました。

信長は天正元年(1573年)、三淵藤英(味方良介)・細川藤孝(亀田佳明)・羽柴秀吉(池松壮亮)らに命じて友通を攻めさせます。

友通は山城淀城に立て籠って抗戦しますが、秀吉の調略によって援軍の者たちが次々と裏切り、敵中に孤立してしまいました。

最期は細川家臣の下津権内(おりつ ごんない)と組討となり、堀に落ちて水中で首を掻き斬られました。

この合戦(第二次淀古城の戦い)で三好長逸は行方不明に、三好宗渭はすでに亡いため、三好三人衆は世から姿を消したのです。

終わりに

阿部亮平演じる石成友通。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

今回は三好三人衆の一人・石成友通について、その生涯をたどってきました。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」では信長の上洛を前にあっさり?撤退していましたが、本圀寺の変ではどんな活躍を見せてくれるでしょうか。

久秀との因縁や、信長との関係にも注目です。

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※参考文献:

今谷明『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』洋泉社、2007年4月 谷口克広『信長と消えた家臣たち』中央公論新社、2007年7月 福島克彦『戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦』吉川弘文館、2009年6月

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