【豊臣兄弟!】あの伝説は創作だった!?豊臣秀吉(藤吉郎)が織田信長に仕えた本当のルートを史料で検証 (2/4ページ)
歌麿も影響された「絵本太閤記」の創作だった
こうした背景を踏まえると、教科書でおなじみの仕官物語は根拠が弱いのです。
キーマンは「無名の幼馴染」史料の中で最も現実味があるのは『太閤素生記』に記された仕官経路です。
天文二十二年に松下家を出奔した十七歳の秀吉は尾張中村に戻り、幼馴染の一若と再会します。この一若は信長の小人頭を務めており、秀吉はそのつてで織田家に潜り込んだとされるのです。
この説が有力視される理由は、一若が他の一次史料にも登場し、実在が確認されている点にあります。
また名前だけの偶然ではなく、信長の使者として活動していた人物と一致するため、信頼性が高いのです。
この経緯には不自然な点がありません。秀吉はまず小者として奉公を始め、雑務をこなしながら徐々に頭角を現していったのでしょう。
ちなみに有名な「草履取り」は小者の仕事の一部であり、特別な役職ではありません。
