『豊臣兄弟!』主君を売る裏切り者…悪役ぶり全開の朝倉景鏡(池内万作)に待つ哀れな最期
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、第13回放送「疑惑の花嫁」の劇中で強烈な印象を残したのが、浅井長政(中島歩)に圧力をかけ、嫡男・万福丸を人質にとり織田信長(小栗旬)を裏切るよう迫った朝倉景鏡(池内万作)です。実に素晴らしい悪役ぶりを演じています。
実は景鏡、やがて朝倉家の運命を大きく狂わせる存在になっていきます。
ドラマでは“いかにも悪役”として描かれていますが、史実をたどると、その振る舞いは単なる脚色では片づけられないものがありました。
今回は、そんな朝倉景鏡がどんな人物だったのかを紹介します。大河ドラマをより面白く見るための予習として、ぜひチェックしてみてください。
一門の筆頭格だが……
池内万作演じる朝倉景鏡。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
朝倉景鏡は大永5年(1525年)ごろ、亥山城主・朝倉景高(かげたか)と烏丸冬光女(からすま ふゆみつ娘)の子として誕生しました。
主君の朝倉義景(鶴見辰吾)とは従兄弟に当たるとされています。
元服して通称を孫八郎と名乗り、後に式部大輔(しきぶのたいふ)の官職を授かり、越前国大野郡司を務めました。
永禄7年(1564年)の加賀一向一揆征伐や元亀元年(1570年)の金ヶ崎合戦などで総大将を務めていることから、朝倉一門の中でも筆頭格であったと考えられています。
※劇中では小谷城にやって来て長政を脅していますが、そんな立場ではないし、時間的余裕もなかったでしょう。あれはあくまでドラマの演出です。
しかし朝倉一門との関係はあまりよくありませんでした。
例えば加賀出陣中には朝倉景垙(かげみつ/かげみち)と口論に及んで自害に追い込み、また金ヶ崎合戦では朝倉景恒(かげつね)に加勢せず日和見に及ぶなど、地位に驕った振る舞いで一門との諍いが多かったようです。
「疲れているから」出陣拒否
鶴見辰吾演じる朝倉義景。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
そんな態度ですから、やがて主君である義景とも関係が悪化。天正元年(1573年)に長政の救援に向かうよう命じられた時は「度重なる戦さで疲れているから」と、あろうことか出陣拒否するに及びました。
盟友の危機にそんなことを言っている場合か……仕方なく義景自身が出馬したものの撃退され、かえって信長の侵攻を招いてしまいます(一乗谷城の合戦)。
本拠地の一乗谷城まで攻め込まれた義景に対して、景鏡は大野郡へ迎え入れました。
這々(ほうほう)のていで逃げ込んできた義景らをもてなし、ここから再起を図るのかと思いきや……ここで謀叛を起こしたのです。
温存していた軍勢で包囲して義景を自害に追い込み、その母親や妻子、近臣らを捕縛して信長に差し出しました。
主君の落ち目に乗じて裏切る者は少なくありませんが、一門からの裏切りは大きな衝撃だったことでしょう。
裏切り者の末路主君の首級を差し出したことで景鏡は降伏を許され、臣従の証として上洛すると、本領を安堵されます。
その際に信長から信の字を拝領し、土橋信鏡(つちはし のぶあきら)と改名しました。
朝倉の家名と一族の通字「景」を捨て去り、完全に織田家臣となる覚悟を示した……というか、屈従を強いられたのでしょう。
さすがに長鏡(信長の足下)としなかったのは、せめてもの情けか、あるいは実力に対する配慮(謀叛を起されたら困る)からかも知れませんね。
その後、朝倉景鏡改め土橋信鏡は天正2年(1574年)に勃発した越前一向一揆に出陣。あえなく討死してしまいました。
あまりにもあっけない景鏡の末路を、人々は落首に詠んだと言います。
日のもとに かくれぬその名 あらためて 果は大野の 土橋となる
【意訳】日本国に隠れなき名門・朝倉の家名を棄てた末路は野ざらしの骸。土がついて恥さらしなことだ。
名門に驕って一族と争い、主君を裏切った成れの果ては、反服常なき戦国乱世にあっても一際軽蔑されたことでしょう。
終わりに今回は朝倉景鏡について、その生涯をたどってきました。
実に見事な悪役ぶりから、視聴者の溜飲を下げる、これでもかとばかり哀れな末路が描かれるのでしょうか。
何なら、義景を裏切った罪によって処刑される……と言ったアレンジが加えられるかも知れませんね。
※参考文献:
水藤真『人物叢書 朝倉義景』吉川弘文館、1986年11月 歴史群像編集部 編『【全国版】戦国時代人物事典』学研パブリッシング、2009年11月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan