江戸時代の町民の税金ほぼゼロだった!?江戸幕府が“安定する社会”の為に作った経済システムとは

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江戸時代の町民の税金ほぼゼロだった!?江戸幕府が“安定する社会”の為に作った経済システムとは

町民はほぼ無税

江戸時代の庶民は、お上に怯えながら細々と暮らしていたイメージが強いですね。

重い年貢に喘ぐ農民の姿と重ね合わせ、町人もまた搾取されていたと考えられがちです。

しかし史実として、江戸の町民は驚くほど豊かな既得権益を享受していました。実は、彼らには土地に対する税金が一切課されていなかったのです。

中世以来、都市の住人は土地について地税を納めるのが当たり前のルールでした。ところが江戸の町民だけは、家康の入国以来、この地税を完全に免除されていたのです。

天保十三年に勘定奉行だった岡本成は、この大らかな税制の理由を書き記しています。

それによると、徳川家が江戸へ入った際、寛大さを示すために地税を取らなかった慣例が、そのまま固定化したのだとか。

徳川家康(Wikipediaより)

家康が江戸に人を呼び寄せるために始めた優遇措置が、数百年続く町民の特権となった上に、江戸時代末期に至るまで、町民たちは一銭の地税も払わずに済んでいたのです。

こうした税負担の軽さが、幕府に対する江戸っ子たちの強い忠誠心を生み出しました。幕末の動乱期においても、町民たちは徳川家への強い支持を崩さなかったと記録されています。

江戸の繁栄は、この大らかな無税政策によって支えられていたといえるでしょう。町には莫大な富が蓄積され、活発な消費文化が花開いたのです。

商人の富のバランス

さて、町民が無税であった一方で、商人の富が社会の秩序を揺るがすことはありませんでした。もちろん大名ですら頭が上がらないほどの豪商も存在しましたが、政治を左右するまでには至りません。

これは、幕府が政治と経済の主導権を常に握り続けるシステムを構築していたからです。江戸時代は商業活動が自由でしたが、行き過ぎた強欲や贅沢は厳しく処罰される対象でした。

これについては、大阪の豪商である淀屋が、あまりに贅沢を極めたとして全財産を没収された例が象徴的です。

繁栄を極めた「淀屋」の碑(Wikipediaより)

幕府は、大らかな税制を導入する一方で、商人が武家を超える権力を持つことを防ぐために時には強権力で介入したのです。

また、富豪たちには「公」のための社会的責任が強く求められる風土がありました。

例えば、日本一の地主と称された庄内藩の本間家は、私財を投じて防風林の植林や飢饉対策に尽力したことで知られます。

一方で、武士の家計は江戸中期以降、物価の変動によって常に火の車でした。

しかし、それでも武家階級が大量に没落して社会が崩壊することがなかったのは、幕府が定期的に武士の借金を強制的に帳消しにする救済策を断行したからです。

この徳政令は約五十年周期で行われ、武士の破産をシステムとして防いでいたのです。

二重の救済システム

幕府の経済政策の真骨頂は、武士の借金をリセットする一方で、その借金の貸し手である商人をも救済した点にあります。

享保の改革の立役者・徳川吉宗(Wikipediaより)

借金をただリセットしても、貸した側は大損であり踏み倒されたのと何ら変わりはありません。それを放置しては、金融市場が混乱して町が立ち行かなくなります。

そこで幕府は、借財帳消しのたびに札差と呼ばれる金融業者へ特別融資を行いました。商人側にも公的な手当てを行うことで、金融不安というリスクを回避したのです。

江戸時代の高利貸しの金融業者「札差」とは何者だったのか?その実態と没落

この、いわば二重の救済によって、江戸の金融システムは破綻することなく二百年以上も維持されました。

江戸の町民は無税で謳歌し、商人は富を社会に還元し、武士は借金リセットで体面を保つ。これらはすべて、幕府が高度な計算のもとに経済のバランスを取り続けた結果でした。

江戸時代の税制度は、現代のような一律で厳格な徴税とは全く異なる哲学を持っていました。しかしその裏には、社会全体の安定を保つための、驚くほど精密な調整機能が存在していたのです。

江戸の平和は決して偶然や精神論だけで守られていたわけではなく、幕府の冷徹な知性とシステムこそがキモだったのです。 

参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
画像:Wikipedia

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